2018年10月 2日 (火)

生命の言葉ーー10月




10月になりました。カレンダーが残り3枚! 4月〜9月、のらりくらりと過ごしてしまった……。

気を取り直して、神社に行ってきました。
10月なので、神様は出雲に出かけていて、不在ですが。
10月の生命(いのち)の言葉です。

楽しきと思うが
楽しき本なり


江戸時代中期の大名、老中、松平定信の言葉です。「幸せも不幸せも考え方一つだ。どのような境遇にあっても、そこに楽しみを見つければ、幸福になれるのである」ということだそうですが、ほんとうにそう思うなあ。

おみくじは小吉。「事業 犠牲を払っても努力せよ」……こちらも了解です。

2018年10月 1日 (月)

9月に観た映画

 9月に観た映画は4本。

『Love, サイモン 17歳の告白』(2018年/アメリカ)
『ウェディング・テーブル』(2017年/アメリカ)
『15時17分、パリ行き』」(2018年/アメリカ)
『灰とダイヤモンド』(1957年/ポーランド)

このうち3本はポーランド航空の機内上映で観ました。
機内上映、面白そうだったけれど、字幕が中国語のみであきらめた映画もありました(音声は英語)。
ニュージーランド航空で字幕なしのニュージーランド映画を、キャセイパシフィック航空で字幕なしのイタリア映画を観たことがあるけれど……。
残り1本は「午前十時の映画祭」で。
午前十時の映画祭、来年度の第10回が最後になると今日知りました。残念です。

9月に読んだ本

 9月に読んだ本は15冊。
 どうして『星を見あげたふたりの夏』の書影がないのだろう? Amazonでは書影が表示されているのに(Amazonとデータがリンクしているのではないの?)。
あかね書房の作品紹介ページはこちら

【追記】(10月2日)
『星を見あげたふたりの夏』の書影を載せてください!と読書メーターに要望を伝えてみたら、翌日書影が載るようになりました。せっかくなので、9月に読んだ本の一覧を『星を見あげたふたりの夏』の書影ありに差し替えました。よろしくね〜。

9月の読書メーター
読んだ本の数:15
読んだページ数:1695
ナイス数:50

カタカタカタ おばあちゃんのたからものカタカタカタ おばあちゃんのたからもの感想
台湾の絵本。『台湾少女、洋裁に出会う』を読まなきゃ……。
読了日:09月30日 著者:リン シャオペイ
ソフィーとちいさなおともだちソフィーとちいさなおともだち感想
かぼちゃを買うとき、ソフィーに選ばせたのが運のつき。ソフィーはかぼちゃに名前をつけて、かぼちゃはソフィーの友だちになりました。夕食用のピザになるはずだったのに。(かぼちゃのピザ?)『おやすみなさい トマトちゃん』にちょっと通じるところもあるかな。
読了日:09月30日 著者:パット・ジトロー・ミラー
きょうがはじまるきょうがはじまる感想
朝起きて、どんな服を着て、どんな髪型にして、どこへ、どんな行き方で行き、何をするか。選択肢が多くて、楽しい。
読了日:09月30日 著者:ジュリー・モースタッド
すなの たね (講談社の翻訳絵本)すなの たね (講談社の翻訳絵本)感想
海辺のバカンスが終わって、日常生活に戻らなければならないさびしさ。モノクロの鉛筆画のなかに一部だけ青や黄色あると、いっそうさびしく見える。(ヨーロッパの小さい女の子の水着は下だけなんだよね……。)
読了日:09月30日 著者:シビル・ドラクロワ
LOVE すべては あなたの なかに (児童図書館・絵本の部屋)LOVE すべては あなたの なかに (児童図書館・絵本の部屋)感想
愛について語った詩の絵本。それぞれの詩に繋がりはない……と思う。
読了日:09月30日 著者:マット デ・ラ・ペーニャ
アンネ・フランクに会いに行く (岩波ジュニア新書)アンネ・フランクに会いに行く (岩波ジュニア新書)感想
アンネ・フランクがベルゲン・ベルゼン強制収容所にいたのはヨゼフ・チャペックと同じ時期なので、参考資料として読んでみた。一番興味深かったのは、最後の章に書かれていた「誰がヒトラーに財政援助したか」に始まる「軍産複合体」について。著者が一番書きたかったのはこの部分では。「軍産複合体」がなくならない限り、地球上から戦争(内戦・紛争を含む)はなくならない。
読了日:09月30日 著者:谷口 長世
新しいチェコ・古いチェコ 愛しのプラハへ (旅のヒントBOOK)新しいチェコ・古いチェコ 愛しのプラハへ (旅のヒントBOOK)感想
チェコに行く前に読みたかったと思っていたけれど、本で紹介されている店を訪ねるより、行き当たりばったりの偶然の出会いのほうが好きなので、読まなくてもよかった気がする。
読了日:09月29日 著者:横山 佳美
かぜのひ (児童書)かぜのひ (児童書)感想
『あめのひ』の姉妹編。
読了日:09月25日 著者:サム アッシャー
なんびきのねこたちおどる?なんびきのねこたちおどる?感想
土曜の夜の町に現れたのはサンバを踊る2匹の猫たち。
猫は4匹、6匹と増えていき、曲もブギー、タンゴと変わっていく。
さて、猫は何匹まで増えていくのか?
ジョン・クラッセンの絵本デビュー作。
読了日:09月25日 著者:キャロライン・スタットソン
ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)
読了日:09月15日 著者:ジョゼ・ルイス ペイショット
園芸家12カ月 (中公文庫 C 15)園芸家12カ月 (中公文庫 C 15)感想
カレル・チャペックの庭にあったレバノン・シーダーはどうなったのだろう? 想像して書かれている未来を今読むと、せつなくなる。
読了日:09月06日 著者:カレル・チャペック
チャペックの本棚―ヨゼフ・チャペックの装丁デザインチャペックの本棚―ヨゼフ・チャペックの装丁デザイン
読了日:09月04日 著者:
わたしと いろんなねこわたしと いろんなねこ感想
彩は猫が大好きだけれどマンションなので飼えない。猫のことばかり考えていたら、謎の大きい猫や小さい猫が現れ……? 絵本作家おくはらゆめさんの初めての童話。
読了日:09月04日 著者:おくはらゆめ
星を見あげたふたりの夏星を見あげたふたりの夏感想
低学年のころはたまたま席が近かったというような理由で仲よくなり、いつも一緒で同じようなことをやって過ごす。でも、高学年になると自分というものがはっきりしてきて、いつも一緒ではいられなくなる。リリーもそんな時期を迎えていた。そんなころ、飼い犬のラッキーがきっかけで、家族と一緒にフロリダから来てブルーベリー農園で働いているサルマと出会い、これまで気がつかなかった社会の一面を知り、亡き母の気持ちなどに思いをはせる。
ブルーベリー・エンチラーダが象徴的な存在に感じられた。
読了日:09月03日 著者:シンシア ロード
スタンリーとちいさな火星人スタンリーとちいさな火星人
読了日:09月01日 著者:サイモン・ジェームズ

読書メーター

2018年9月27日 (木)

マイ・フェア・レディ

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 都民半額観劇会に当選したので、9月20日に次女とふたりで「マイ・フェア・レディ」を観にいきました。


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 イライザとヒギンズ教授はダブルキャストで、わたしたちが観た公演は、イライザが朝夏まなとさん、ヒギンズ教授が寺脇康文さん。

 2年前、午前十時の映画祭で映画版『マイ・フェア・レディ』を観たときは、ヒギンズ教授という人物に好感が持てず、女性蔑視や労働者階級の人たちをばかにする態度に辟易。今の時代には作られないないようだなあと感じたのですが、舞台を観た印象は少し違いました。
 今回の舞台のために脚本を新たに翻訳し直したとのこと。それ以前に、これまでも時代に合わせて演出を少しずつ変えているようです。

 大地真央さんが最近までイライザを演じていたことにびっくりし、レックス・ハリソンが72歳で舞台でヒギンズ教授を演じたことにも驚きました。ちなみに映画でヒギンズ教授を演じたときは56歳で、イライザを演じたオードリー・ヘップバーンは26歳。初めて観たとき中学生だったわたしは、親子みたいにしか見えないふたりが恋愛関係になるのは違和感をおぼえました。無理もない……。舞台なら魔法がかかるけれど。

 朝夏まなとさんの歌、特に「踊り明かそう」の高音の伸びはすばらしかったです。

 そういえば、冒頭、イライザが花を売っているのは、公演が終わって、お客さんが続々と外に出てきているオペラ座の前。ヒギンズ教授の教育の成果を発表しにイライザが連れていかれたのがアスコット競馬場。奇しくもクイーンのアルバム "A Night at the Opera"(邦題「オペラ座の夜」)と "A Day at the Races"(邦題「華麗なるレース」)と同じ……というか、要するに上流階級の人たちは昼に競馬、夜にオペラを楽しむということですよね。
 ちなみに、 クイーンのアルバムタイトルはマルクス兄弟の映画 "A Night at the Opera"(邦題『オペラは踊る』 )と "A Day at the Races"(邦題『マルクス一番乗り』)から取ったようです。

2018年9月26日 (水)

長くつ下のピッピの世界展

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 多摩地域のタウン誌「asacoco」のプレゼント企画に当たり、東京富士美術館で開催していた「長くつ下のピッピの世界展 〜リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち〜」の招待券を2枚手に入れました。応募する際、石渡希和子さんによる連載記事「食べcoco」と「あるcoco」のファンで、7月に行われた原画展も見にいったなど、熱く(当社比)語ったおかげかも。
 招待券が2枚当たったけど、友だちがいないので一緒にいく人がいない〜などとツイートしていたら、やまねこ翻訳クラブの仲間で、リンドグレーン・ファンのBさんが一緒に行ってくれることになりました。招待券が届いたのが9月になってからで、会期は24日まで。わたしが旅行から帰ってきた13日以降で、土日は避けたい……とTwitterで世界中に公開しながら日程調整して、9月19日に行くことになりました。

 東京富士美術館はJR八王子駅北口・西東京バス14番乗り場から、創価大正門東京富士美術館行きもしくは創価大学循環のバスに乗り、創価大正門東京富士美術館で降ります。14番乗り場が見つからなかったり、京王バスだと思っていたバスが西東京バスだったり(小田急バスと立川バスみたいな関係でしょうかね?)、いろいろありましたが、すんなりつきました。

 展示はピッピが中心でしたが、やかまし村やロッタ、カッレくんなどもありました。イングリッド・ヴァン・ニイマンの絵は、60年前に描かれたとは思えません。ニイマンが描いた漫画版のピッピも面白かった。
「やかまし村」シリーズの絵を担当したイロン・ヴィークランド(ジンジャー・ビスケットを焼く場面の細かいこと! 3人が焼いているビスケットが、ちゃんとブタの形をしているのです)、桜井誠さんによる1964年刊行の日本語版の原画も展示されていました。桜井誠さんの絵、最初、わたしは原画の挿絵だとばかり思っていたのですが、Bさんも同じことを言っていました。

 
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 ピッピの家の模型や


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 ロッタの家を再現したもの(バムセがいる!)もありました。


 ショップも充実していて、迷いに迷って(ピッピの家も売っていた)、結局一筆箋と絵はがきを何枚か購入しました。それから、「やかまし村」シリーズの新訳が刊行される日が来ることを願って、『長くつ下のピッピ』の新訳(ニイマンの挿画をそのまま採用)も。

長くつ下のピッピの世界展」はこのあと宮崎、京都、名古屋、福岡、愛媛で巡回展が行われるようです。

 

2018年9月23日 (日)

チャペック兄弟をめぐる旅 9月12日

 ハノーファーのホテルをチェックアウトして、空港へ向かうべくハノーファー中央駅へ。


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 自動券売機で切符を買い、ジューススタンドでVitaminという名前のスムージーを買う。真っ赤でベリーがたっぷり入っているのかなと思った(実際、入っていたと思う)が、ひとくち飲んだらほのかにパセリの味がした。毛細血管の先のほうまでビタミンが届いている感じがする。やっぱりここ数日間、ビタミン不足だったのかな。

 チェコでもドイツでも、列車のなかによく犬が乗っている。空港へ向かうS-Bahnのなかで、向かい側の席に座った女性がチワワを抱いていた。乗り込むまでではカートの上に載せていたチワワを抱き上げ、着ていた服を脱がせると、ぎゅっと抱きしめた。いかにもこの子がかわいくてたまらないという様子で、チワワのほうも飼い主さんに抱かれて安心しているのかうとうとしている。眺めていると笑顔になってしまう。女性2人と男性1人とチワワ1匹というグループで、交わしている言葉はドイツ語ではなかったが、チェコ語やポーランド語でもなかったと思う。どこの国の人だったのだろうか。

 国際線だから3時間前には空港に着いていなければと思って早く来たけれど、ハノーファーのような小さい空港ではそこまで余裕を持つ必要はなかったかもしれない。乗る予定の飛行機のチェックインはまだ始まっていなかった。朝ごはんを食べていないので、空港内のカフェで何か食べることにする。まあ、もともとそうするつもりだったけれどね。


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 ベーカリーカフェでパンを2つとミルクコーヒーを買い、パンのひとつは紙袋にいれ、もうひとつをコーヒーと一緒に食べた。甘くない、質実剛健なパン。美味しい。


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 チェックインカウンターが開いたので、そそくさとチェックインを済ませ、出発ゲートに向かう。荷物チェックはあるけれど、パスポートコントロールはなし。免税店でかわいい缶に入ったチョコレートをいくつか見つけた。街中でいくら探してもなかったのに。デザイン重視でトランク型の缶に入ったマジパン入りチョコレートを選んだ。留守中家のことを全面的に任せている次女へのお土産。


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 ワルシャワに到着。行き、乗り継ぎ時間が1時間切っているなかで、荷物チェックとパスポートコントロールを済ませなければならなかったので、空港のなかはほとんど見ていない。帰りはパスポートコントロールと荷物チェックを済ませてもまだ時間に余裕があったので、免税店やカフェをのぞいた。結局、何も買わなかった。
 ワルシャワ・ショパン空港の出発ロビーのどこかにピアノが置いてあるらしく、誰かが入れ替わり弾いているのか、ほぼ絶えずピアノの音が聞こえていた。最初に気づいたときに流れていたのは「エリーゼのために」で、ショパンの「夜想曲第20番」が聞こえていたときもあった。どんなピアノなのか見にいけばよかった。

 帰りの搭乗時間は10時間弱。隣の席のカリフォルニア出身のマイクさんに話しかけられて、けっこうおしゃべりした。フレンドリーなだけでなく、わたしの拙い英語につきあってくれる辛抱強さも合わせもっている(笑)。日本で美術館巡りをするのだと言っていた。初めての日本滞在を楽しめますように。
 機内食が出たとき、隣の席の女性がビールを頼んだら、出てきたビールの缶がとてもかわいかった。わたしも缶目当てで頼めばよかったとちょっと後悔。

 いろいろトラブルやアクシデントはあったうえに、途中、体調が万全とはいえなくなってしまったが、ひどいことは起こらず、出会った人たちはおおむね親切で、とても有意義な旅だった。
 快く送りだしてくれた家族にも感謝したい。やり残したことも行きたい場所もまだまだあるし、チェココルナもまだ残っているから、チェコ、また来よう。


【余談】
 日本のパスポートを持った人間がシェンゲン協定加盟国に行く場合、パスポートコントロールを受けるのは、最初に入った国と最後に出る国だけ。今回、日本からの飛行機がワルシャワに着き、ワルシャワで日本行きの飛行機に乗ったので、わたしのパスポートにはポーランド出入国のスタンプしか押されていない。つまり、パスポートを見る限り、わたしはチェコにもドイツにも行っていないことになる……ちょっと残念。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(5)

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 ハノーファーは都会だった。ベルリンのような大都会ではないが、駅前に店が多くてにぎわっていて、お土産が調達できそうなのでほっとする。
 予約していた駅前のホテルにチェックイン。ちなみに今回の旅で一番宿泊料の高いホテル。部屋とベッドは一番狭いが、冷蔵庫があり、設備は整っている。何より駅に近いのがいい。ドイツで普通の観光をする気はまったくなく、移動しやすいことに重点を置いていたので、できる限り駅から近いホテルに泊まりたかったのだ。

 荷物を置いてひと休みすると、お土産を探しに出かけた。駅前にはデパートみたいな大型スーパーみたいな店舗がいくつかあり、大型書店もある。第2外国語でドイツ語を取っている次女にドイツ語の絵本でも……と思ったが、ドイツ人作家の作品も翻訳作品も区別なく並べられていて、絵が好きだなと思うとたいてい翻訳もの。ドイツ人作家の絵本を見つけるのは難しそうなので、あきらめた。

 ハノーファーをうろうろしているとき、Twitterのアカウントを乗っ取られている疑いがあるという通知がきた。実はチェコにいるときにも(普段と違う場所からアクセスされているからという理由で)アカウントを乗っ取られたのでは?という疑惑をかけられたのだが、本人であるならパスワードを変更せよという指示に従ってパスワードを変更し、事なきを得ていた。今回はダメで、アカウントをロックされてしまった。成田を発つときからずっとメモがわりにTwitterでつぶやいてきたのに……。最後の最後で残念なことが起こってしまったけれど、しかたない。

 お土産を買ったあと、最後にデパートみたいな大型スーパーみたいな店の地下で、Pink Ladyという種類のりんごと飲むヨーグルトと思しきものを買って、ホテルの部屋で食べた。りんごはおいしかった。プラハの宿で毎朝ネクタリンを1個食べてはいたけれど、スーパーや市場でもっと果物買って食べておくべきだった。今さらだけど。そして、飲むヨーグルトだと思って買ったものは、飲むヨーグルトではなく、普通のヨーグルトだった。スプーンなんてないので、無理やり飲む……。


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 明日はもう帰国の日。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(4)

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 入り口近くにある記念館に入り、先に腹ごしらえをしようとカフェに入る。ガラスケースに入っているサンドウィッチを食べようと思ったが、メニューにホットドッグを見つけ、ホットドッグにした。ほかにガス入りの水を買う。ホットドッグはIKEAの1階で売っている100円のホットドッグに似ている。ピクルスやフライドオニオン、ケチャップ、マスタードは自分でつける。胃腸が本調子でないせいもあったのか、あまり美味しくなかった。サンドウィッチにすればよかったのかなあ。

 展示をひとつひとつ見てまわり、記念館内の書店ものぞいた。各国語の本が並んでいたが、やはりアンネ・フランクの関連本が圧倒的に多い。
 収容所跡地はもちろん、記念館も入場無料だった。

 そろそろ帰りのバスの時間が近づいたので、停留所へ移動。イギリス人らしき老夫婦がベンチ座ってバスを待っていた。時間になったがバスが来る気配がない。時刻表にFやSといったマークがついていて、それぞれの意味が欄外に書いてあるが、ドイツ語のみなので判読できない。nur für はnot forの意味だろうか?と推測していると、イギリス人の男性の方に声をかけられた。nur für は only for なのではないかと聞いてきたので、Google翻訳さんに手伝ってもらったら、たしかにそうだった! Fは祭日、Sは平日。つまり、待っていたのに来なかったバスは祭日のみのバスだった。幸い10分も待てば平日のみのバスが来ることがわかったので、慌てず騒がず、のんびり待つ。

 終点で降り、900番のバスに乗り換えてツェレに戻った。帰りは行きより短く感じた。単に気持ちの問題ではなく、切符を見ると行きよりも運賃が安かったので、明らかに所要時間が短かかったのだ。
 ホテルに寄って、荷物を引き取った。事務室にいたのは中国人の男性だけ。スーツケースを道路まで運んでくれた。不思議なつくりだったが(19号室だと言われたのに、部屋番号が17番までしか見当たらず、階段の近くにあったドアを開けたら、そのなかに19号室と20号室のドアがあった。ちなみにドイツでは18は忌み嫌われる数字だそうで、18号室はない)、清潔だったし、オーナー(?)のお二人も感じよかったし、悪くなかった。もう一度ツェレに来るかどうかはわからないけれど。


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 自動券売機でハノーファー行きの切符を買っていたら、英語表記を選んでいたのに、途中からドイツ語に変わってしまった。なぜだ? 想像力を働かせて、なんとか購入。ホームに来ていたS-Bahnに乗り、ハノーファーへ。


チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(3)

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 ベルゲン・ベルゼン強制収容所は、もともとは国外で拘束されたドイツ人と交換するための「交換ユダヤ人」を集める場所を想定していたらしいが、1944年以降は病人や高齢者が移送されることが増えた。食料の少なさから衰弱死するものが多く、衛生状態の悪さから結核、赤痢などの伝染病も流行した。1945年2月ごろから収容所が解放されるまでのあいだはチフスが大流行し、イギリス軍による解放後、伝染病の拡散をふせぐため、収容所の建物はすべて焼き払われたそうだ。

 1938年9月、ミュンヘン協定によりチェコはナチス・ドイツに領土割譲(カレルはこの年の12月に逝去)、翌年3月に占領されてボヘミア・モラヴィア保護領となる。ナチスとヒトラーに対する批判を続けていたヨゼフは1939年9月1日、政治犯として逮捕された。ダッハウ(9月9日〜)→ブーヘンヴァルト(9月26日〜)→ザクセンハウゼン(1942年6月26日〜)の各強制収容所を経て、1945年2月25日にベルゲン・ベルゼンに移送される。4月4日に最後の生存確認が伝えられているが、その後、連合軍による解放直前にチフスで亡くなったと推測されている。チェコ版(およびそれを参照したと思われる英語版)のWikipediaに、1945年6月にヨゼフの妻ヤルミラがベルゲン・ベルゼンを訪れたが、亡骸を見つけることはできなかったと記されている。


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 収容所があった広い敷地内をゆっくりと歩いた。記念碑や焼却炉跡。遺族が立てた墓碑もある(ここで亡くなった人たちひとりひとりの遺体が確認できているわけではないので、墓碑の下に埋葬されているわけではない)。


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 収容所で一番の大通りだった場所で、『ヨゼフ・チャペックエッセイ集』を開き、「強制収容所からの詩」を改めて読む。それぞれの詩が具体的にいつ書かれたのかはわかっていない。「五年間」と「一九四四年霜月」が書かれたのはザクセン・ハウゼン滞在中なので、ほかの詩もたぶん同じころに書かれたのではないかと思う。
アンネ・フランクに会いに行く』(谷口長世著/岩波書店)によると、1944年から1945年にかけての冬、ドイツは激しい寒波に襲われ、氷点下の気温の日が続いたという。そんななか、暖房どころか防寒設備もなく、食べものも満足にもらえない状況で、チフスが流行してしまったら、感染しないのが奇跡だったかもしれない。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(2)

 ベルゲン・ベルゼン強制収容所の資料館のWebサイトに、ツェレから公共交通機関を使って行く人のためにバスの時刻表のリンクが貼ってあった。駅前のバス乗り場から900番のバスに乗り、終点で110番のバスに乗り換える。ぼーっと待っていると、反対側にあるバス乗り場にベルゲン行きと表示された100番バスが来た。えっ? ひょっとして、わたし、今まで反対側方向の乗り場で待っていたの?
 あとになって冷静に考えてみれば、900番のバスが行ったばかりだったのか、これから来るところなのかをまず確認するべきだったかもしれないが、そんな気持ちの余裕はなかった。運転手さんにこのバスでベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地に行けるかと聞いたら、終点で乗り換えれば行けると言われたので、飛び乗ってしまった。
 乗ったあとで、本当に大丈夫なのか不安になってきた。ツェレのバスの路線図(Webサイトからダウンロードしてプリントアウトしていた)を確認した。900番のバスの終点と100番のバスの終点を結ぶのが110番のバスで、あいだにベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地がある。このバスで大丈夫らしい。

 終点でバスを降り、運転手さんと一緒に時刻表を確認する。次の110番のバスまで1時間くらいあることがわかった。でも、天気もいいし、このあたりを散策すれば時間はつぶせるだろう。親切な運転手さんに改めてお礼を言った。チェコでもドイツでも、いつもこんなふうに親切な人に助けられた。慣れない土地で親切にされると本当にうれしい。
 思えば、テレジーンに行ったときもバスを降りそこなったっけ。テレジーンもベルゲン・ベルゼンも、すんなりたどり着いてはいけない場所なのかもしれない。そんなふうに考えて自分を納得させる。


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 バスの停留所があるのだから、このあたりでは一番にぎやかな場所なのだろうか。レストランがあり(午前中なので閉まっていた)、カフェがあり(開いていたけれど、お客さんがいなくて入りづらい)、教会があった。教会の前の広場には巨大なチェスの駒が。お祭りか何かのときに使われるのだろうか。バスの窓から眺めていたときにも感じていたけれど、家がでかい。これまでイギリスやオランダに行ったことがあるけれど、都市部が中心で、一戸建ての家はほとんど見たことがなかった。田舎町で一戸建ての家が並んでいるのを見ると、一軒一軒が日本の家に比べてひとまわりもふたまわりも大きく、窓もドアも大きいので、巨人の家を眺めているような気がしてくる。


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 ようやくやって来たバスに乗り、今回の旅の最終目的地、ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地へ。夏の終わりに咲くというヒースの花が、盛りは過ぎていたものの、まだ咲いていた。気候の厳しい土地に育つ植物なので、この土地の気候の厳しさがわかる。ここは『アンネの日記』のユダヤ人少女アンネ・フランクが亡くなった場所として知られているが、わたしがここに来ようと思ったのは、ヨゼフ・チャペックが最期の日々を過ごした場所だから……。

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