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2004年11月

ささやかな幸せ

 今日、クリスマス・ツリーを出した。
 以前からあるのは、白い陶器のツリー。中にろうそくが入れられるようになっている。派手じゃないところが気に入って買った。小さいので、狭い我が家でも全然気にならない。
 今日、百円ショップで、もうひとつツリーを買った。銀色の針金でできている、小さなツリー。シンプルなデザインが気に入った。少し傾いているけれど、百円だし……。
 2つ並べたツリーを娘たちに見せたら、2人とも大喜び。こんなことで喜んでもらえるなんて、うれしい。
 次は玄関のドアにリースを飾ろうか。


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プロってどういうこと?

 先日のイタリア語のクラスで、日本のある作家の作品のフランス語訳について、こんな話を聞いた。
 オリジナルは全12章からなり、12人の登場人物が各章の語り手となっているが、フランス語訳では1章足りない。この話をしてくれた人は訳者と面識があったので、どういうことなのか訳した本人に聞いてみたところ、「あの章は難しかったから、省略した」とけろりとして言ったとか。また、フランス語訳の中に、上野の近くにある「ごうどちょう」という地名が出てきて、一瞬、何のことだかわからなかったが、しばらくして「御徒町」のことだと気がついたそうだ。東京近辺の人間でなければ、「おかちまち」とは読めないかもしれないが、今は、インターネットで外国の町の地図が(ルネッサンス時代のミラノの地図だって)閲覧できる時代である。手抜きとしか思えない。
 思えば、以前、翻訳会社でコーディネーターをしていたときにも、浅草寺を「あさくさでら」としたり(和文英訳)、英文の中にまぎれていたフランス語の単語をそのままにしたり(英文和訳)、わからない部分を適当にはしょったり(イタリア語和訳)、いろいろな人がいた。でも、評判がいい翻訳者は、いつも調べものをきちんとしていたっけ。
 社会人になって最初に勤めた職場で、上司に「その仕事をしてお金をもらっていれば、それはプロといえるだろうけれど、本当のプロとはそういうものではない」というようなことを言われたのを今でも覚えている。
 以上、翻訳修行中の身として、自戒の念をこめて……。

ピアノのおけいこ

 ピアノの練習をしている。次女Yがお腹にいるとき、妙にピアノの練習をした時期もあったけれど、それを除けば、こんなに練習をするのは数十年ぶりである。難しい曲ではないのに、指は思うように動かない。
 とはいえ、ピアノを習い始めたわけではない。ピアノ教室のクリスマス・コンサートで、Yと連弾をすることになったのである。曲は「チム・チム・チェリー」。Yがメロディー部分を、私が伴奏部分を弾く。意欲的に練習しているYと比べ、なかなか練習時間が取れない私の上達ぶりは亀のごとく……。「早く合わせよう」とせっつかれ、あせっている。
 下の写真はYが折り紙で作ったピアノ。将来の夢は「一応、ピアニストって言ってる」そうで、グランドピアノを買うことを夢見て、せっせとお金を貯めている。1000円貯まったらしい(がんばれ~)。


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濃い1週間

 今日は午後から出勤することになった。夜、友人に会って食事をする予定になっていたので、出かける前に家族の夕食の支度を済ませ、11時53分発の電車に乗るべく、家を出た。早足で歩き、信号にも引っかからなかったのに……乗り損なってしまった。やはり、家の時計が1~2分遅れていたようだ。M駅でバスに乗る前にスターバックスに寄って、眠気覚ましのコーヒーを買い、バスを待ちながらすするつもりだったのに。次の電車まで20分ある。とりあえず、駅に入り、自動販売機でコーヒーを買う。安上がりになったから、よしとしよう。
 昼から出勤して、4時間でばーっと仕事を片付けると、なぜか、朝から働いた日よりも達成感がある。テンションが高いまま職場を出て、バスと電車を乗り継いで、友人との待ち合わせの場所へ。
 友人が10年近くなじみだというメキシコ料理屋へ行った。初めての店なので、とりあえず、友人お勧めの品を注文。飲み物はサングリア。お酒がたっぷりしみこんだフルーツを食べて、酔っ払ってしまった。料理はおいしかった。今度は家族と一緒に来たいけれど、辛いので、次女Yは無理かもしれないなあ。
 今週は月曜日から金曜日、毎日出歩き、毎日いろいろな人に会った。濃い1週間だった。
 明日からは修行僧のような生活に戻ろう。戻れるものならば。いや、戻らねば!
 

七五三

 日付が逆になるが、先週の土曜日、次女Yの七五三のお祝いをした。長女Nのときは、美容院で着付けをして、髪を結ってもらい、写真館で記念撮影をして、神社に行った。私も着物を着た。しかし、Yは「七五三はやりたくない」と言い、伸ばしていた髪を切ってしまった。記念写真の撮影はなかなか大変だし、お金もかかるし、やる気のない子どもを無理にやらせるものではないと思ったので、「じゃあ、いいよ」ということになった。それでも、地元の神社に行って、祈願はしてもらったほうがいいと説得した。
 この神社、ここ数年、初詣の時期には参道に人があふれるほどはやっている。この日も、晴れ着姿の子どもたちがたくさん。その中で、ただひとり普段着のY(と付き添いの私たち)。浮いているなあとは感じたが、周囲になじんでいないと思うのはしょっちゅうなので、慣れてしまった。

 下はYが保育園で作った、千歳飴の袋。こういうのを持って帰るのも、今年が最後だなあと、しみじみ。


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後悔先に立たず

 昨日、お昼前から出かけて夜帰宅すると、ポストに喪中を知らせるはがきが届いていた。ここ数年、親を亡くした友人から喪中のはがきがくることがたびたびある。また誰かのお父さんかお母さんが亡くなったのかと思い、差出人を見ると、見慣れない名前だった。厳密にいうと、名字には見覚えがあったが、名前になじみがなかった。文面を見ると、「今年3月に妻Mを亡くし……」とある。小学校時代の恩師の死を私はこうして知らされた。
 小学校1、2年生の担任の先生だった。私が毎日先生あてに書いていた日記、「あのねちょう」にていねいなコメントをつけてくれた。「あのねちょう」のノートが10冊になると、製本してくれた。製本した日記は今でも手元にある。私は子どものころから文章を書くのが好きだったが、そうしてくれたのはこの先生だった。
 思えば、今年のお正月、先生から届いた年賀状は松が開けてからだった。「病気で入院していて、遅くなりました」というようなことが書いてあったように思う。それを書いた2か月後に先生は亡くなった。はがき1枚書くのも、つらかったかもしれない。先生の死を知らぬまま、自分がのんきに毎日暮らしていたことも、許しがたい気がして、涙が出た。
 亡くなる前に、自分が書いた本か自分が翻訳した本を、先生にプレゼントできたらよかった。悔いが残る。

禁煙席・喫煙席

 ここ数年、外食といえばファミレス、というのがほぼ定着している。当然、飲食店には「禁煙席」と「喫煙席」というものがあるのだと思い込んでいる。たとえ、それが、「禁煙席」とは名ばかりの、「喫煙席」から煙が漂ってくる席であったとしても。
 久しぶりに、昼間ひとりで外食した。「禁煙席」か「喫煙席」か問われぬまま、案内された席につく。いやな予感がした。私よりひと足先に注文を済ませていた隣のテーブルの女性が、煙草に火をつけた。煙が漂ってきた。数か月前、食べている横でぷかぷかやられて、吐きそうになったことがある。そのときは、「禁煙席はないんですか?」と店員に聞いた。「すみません、平日はやっていないんです」とのことだった。この店も同様らしく、「禁煙席」というプレートが片隅に押しやられていた。
 注文された料理が届き、私が食べていると、反対隣の席に案内された男女が、注文を済ませて煙草を吸い始めた。服や髪の毛に煙草のにおいがつくのもいやなので、急いで食べ終え、逃げるように店に出た。こんな店、もう2度とくるもんかとつぶやきながら。
 以前に行った店と同様、繁華街のショッピング・モール内にあり、昼時は近辺に勤める人たちでにぎわっている。全席禁煙にすると、客足に影響するのだろうか。納得できない。

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