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2005年3月

帰ってきた!!!

 1か月くらい前から姿を見せなくなっていた、実家の猫のマリウス(プロフィール写真の猫、ジェニイの息子)が、昨日、ひょっこり帰ってきた! オスだし、もう、帰ってこないものと半分あきらめつつ、〈家出した猫が帰ってくるおまじない〉をやろうかと思っていたところだったので、本当にうれしい!
 1か月も留守にしていたのに、やつれるどころか、ひとまわり体が大きくなり、毛並みもつやつやだったけれど……。


〈家出した猫が帰ってくるおまじない〉とは?
 百人一首にある、中納言行平の「立ちわかれいなばの山の峯におふる まつとし聞かば今かへりこむ」という歌を口ずさみながら紙に書き、壁に貼ると、いなくなった猫が帰ってくるらしい。私も2度ほど試したことがある。ラスカルという名前の猫がいなくなったときに試したら帰ってきたが(すっかりやつれ果てて、体も軽くなっていた)、その息子、源三のときは効果がなかった。声が聞こえないくらい遠いところへ行ってしまったのかな、とさびしく思ったのだった。

卒園式と卒業式(長文)

 この春、長女が小学校を卒業し、次女が保育園を卒園した。小学校では役員(学級委員)をやり、卒対(=卒業を祝う会対策委員会……だったと思う)にも一応名を連ね、保育園でも役員をやったので、両方の予定が重なると目が回るほど忙しかったけれど、終わってしまうと何となくさびしい。
 14日(月)、保育園のお別れ遠足でサマーランドへ行った。長女も同じ保育園出身で、同じようにサマーランドに行ったけれど、あのときは体育指導の先生が同行していることもあって、子どもと一緒にプールに入る親はあまりいなかった。この6年間でいろいろなことが変わっていて、お別れ遠足がはっきりと「保護者主催」となったため、体育指導の先生は同行しなくなり、「自分の子どもは自分が責任を持って」ということになったらしい。
 で、同じ週の土曜日、卒園式。名前を呼ばれるのを園児たちが保護者のほうを向いて座っているので、顔が見えてよかった。名前を呼ばれ、卒園証書を受け取る前に、マイクを持って「大きくなったら、○○になりたいです」と言うのだが、うちの次女は「ピアノの先生になりたいです」と言っていた。女の子は「お花屋さん」「ケーキ屋さん」が多く、男の子は「野球の選手」「サッカー選手」が多かった(このあたり、長女のころと変わらない)。保護者席でどよめきが起こったのは、「アイドル歌手になりたい」「科学者になりたい」「八百屋さんになりたい」と言ったとき。八百屋さん志望は、年中のときのおゆうぎ会の『ピノキオ』の劇で女神様役が似合っていた、かわいい女の子。「なんで八百屋なの~?」と、お母さんも首をかしげていた。予行演習では「ドッジボールの選手になりたい」と言っていたらしい女の子が、本番では「R(弟さんの名前)を助ける医者になります」と言って、お父さん、お母さんを泣かせていた(あとで聞いたところによると、R君は肺炎にかかって入院し、最近退院したばかりだとか)。「ダンプの運転手になりたい」と言った男の子もいて、ダンプの運転手をしているおじいちゃんが喜んだらしい。その子は、最後に園庭で先生たちひとりひとりとお別れのあいさつをしながら、「A(年中にいる弟さんの名前)をよろしくお願いします」なんて言っていたのが印象的だった。でも、結局、式の最中もあとも、涙は出なかった。花粉症のせいで目は赤く、鼻をたらしてはいたけれど。
 卒園式に引き続いてお別れ会、そして夕方にはその2次会……。役員の人たちとは何度か飲み会をやったりしていたけれど、それ以外のお母さんたちとじっくり話すのは初めて。年齢もさまざまで、とても楽しかった。
 そしてその約1週間後、25日(金)が小学校の卒業式だった。しかし、長女は前日の朝から熱を出し、「6年生になってから1度も休んでいないんだから!」と、修了式には行ったものの……帰宅後、熱が39度を超え、卒業式は欠席することになった。6年間お世話になった学校なので、私がひとりで出席した。
 卒業生が入場してくるのを見ながら、みんな、普段とは違う立派な服装をしているせいか、とても大人びて見えた。入学時から知っている子がほとんどなので、その成長振りが感慨深かった。卒業証書授与のとき、先生が長女の名前を読み上げたあと、「本日は欠席です」と付け加えると、会場内にちょっとどよめきが起こった。式のあと、同級生のお母さんたちや元担任の先生が「どうしたの?」「熱、出しちゃったの?」「記念撮影だけでも連れてくれば?」などと声をかけてくれた。卒業生と保護者との記念撮影、「子どもがいないのに、親だけ映っても~」なんて思って遠慮していたら、「入ろうよ!」と誘われたので、ずうずうしく収まってしまった。なかなかいい式だったけれど、うちの娘がいないので、ちょっと複雑だった。
 夕方から、卒業を祝う会。一応、実行委員に名を連ねているので、会場準備のお手伝いへ行った。会う人会う人から、「Nちゃん、大丈夫?」と声をかけてもらった(これで、うちの娘は同級生とそのお母さんから、「卒業式を欠席したあの子」として印象づけられるのかもしれない)。会場を飾り付け、お弁当とお菓子と記念品をもらって、退散した。この1年間、役員をやったり、卒対に名を連ねていたおかげで、知り合いが増えてよかったなあと思う。これで終わりなのが本当に残念。
 担任の先生と校長先生の配慮で、卒業証書は後日、校長室で直接渡してもらうことになった。


 そして、あと10日もすれば、小学校の入学式……で、その翌日には中学校の入学式。準備ははかどらず……。焦る気持ち半分、何とかなるさ!という気持ちが半分。
 

デイヴィッド・アーモンド

 4月2日に作家のデイヴィッド・アーモンドと翻訳家の金原瑞人氏のトークセッションが行われる。アーモンド作品は『肩甲骨は翼のなごり』(山田順子訳/東京創元社)と『ヘヴンアイズ』(金原瑞人訳/河出書房新社)を読んでいた。結構好きな世界だなと思いながら、それきりになっていたが、トークセッションに申し込んだのを機に、邦訳をさらに3冊、それから原書を1冊読んだ。邦訳の出ていない原書(短編集 "Counting Stars")も注文した。
 まず最初に、"The Fire-eaters" を読んだ。レビューを読んだとき、フェデリコ・フェリーニの『道』を連想させた。「マクナルティー=ザンパノ」だったのだが、実際に読んでみたら、やっぱり『道』を思い出したけれど、マクナルティーはザンパノではなく、ジェルソミーナだった。転校生ダニエルとその家族以外の登場人物のしゃべり方が独特で、イングランド北部の訛りなのだろうか? 『フル・モンティ』や『リトル・ダンサー』といった映画を見たとき、台詞がほとんど聞き取れなかったけれど、アーモンド作品を原書で繰り返し読んでいれば、わかるようになるかもしれない……? 
 次に周囲のアーモンド好きの間で一番人気が高い『闇の底のシルキー』(山田順子訳/東京創元社)を読んだ。なんだか、テレビの「本当にあった怖い話」みたいだなと感じた(視聴者から届いた恐怖幽便を元に作られたドラマの中の、不思議な体験だけれどこわくはない話……というものを見ているような気がした)。続けて『秘密の心臓』(山田順子訳/東京創元社)を読んだ。フェリーニの『81/2』を思い出した。最後に、"The Fire-eaters" の邦訳、『火を喰う者たち』(金原瑞人訳/河出書房新社)をさらりと読んだ。
 いろいろと読んで気になったのは、「フェリーニ、好きなのかなあ」ということと、「FA杯の準決勝で、ニューキャッスルとマンチェスター・ユナイテッドの対戦をどんな気持ちで迎えているのかなあ」ということ……。アーモンド本人に聞いてみたい。

あたたかい言葉

 風邪で鼻炎が悪化し、引き続いて花粉症の症状が出たため、ここ2か月あまり、耳鼻科に通い続けている。もともと患者の多い医院ではあるけれど、ここのところ特に混んでいて、小さい子どもの患者も多い。年長くらいになると、「あまり気持ちよくないけれど、治療してもらったあとは鼻がすっきりする」ということがわかるのか、我慢する子がほとんど。鼻の治療より耳の治療のほうが痛いらしく、しかも「治療してもらったあとはすっきり」というわけでもないので、耳の治療に来ている小さい子の中には、待合室に入った瞬間に大泣きして、必死で抵抗する子もいる。
 昨日もそんな子がいた。待合室に入ると泣き出すせいか、名前を呼ばれるまでお母さんと一緒に外で待っていた。待合室に入った瞬間に大泣き。正直言って、私はこの手の「大泣きする子ども」にうんざりしていた。親が甘やかしているせいじゃないかって思っていた。だから、その女の子が「Mちゃん、やだ~! ぜったいにやだ~!」と大声で泣きわめきながら、お母さんに引っ張られて診察室に向かうのを見たときも、またかって感じていた。ほかの人たちも同じように感じているらしく、待合室全体がぴりぴりした雰囲気になっていた。そのとき、私の隣に座っていたおじさんがその女の子に声をかけた。「Mちゃん、がんばれ~!」おじさんのひとことで、待合室の雰囲気が変わった。ぴりぴりした空気が消え、なごやかになった。
 私が治療を受ける前に、お母さんと一緒に鼻とのどの治療を受けていた1歳半~2歳くらいの女の子も、治療中、ほとんどずっと泣き続けていた。肩身の狭い思いをしたのだろう。会計を終え、まだ泣いている女の子をベビーカーに乗せながら、お母さんが「Sちゃんより、お母さんのほうが痛かったのよ。お母さんのほうが泣きたいんだから」などと声をかけていた。私は思わず、その女の子に声をかけてしまった。「でも、がんばったよね!」お母さんの表情から険しさが消え、「そうね、がんばったわね」と笑顔になった。
 残念だったことがひとつある。Mちゃんは治療中も泣き続けたが、終わると泣き止み、待合室に姿を見せた。「Mちゃんがんばったね。(年)いくつ?」とおじさんが声をかけたが、Mちゃんもおかあさんもしらんぷりだったのだ。気まずく感じていたのかもしれないが、やはりおじさんに何か答えてほしかったと思う。

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