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2018年9月

マイ・フェア・レディ

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 都民半額観劇会に当選したので、9月20日に次女とふたりで「マイ・フェア・レディ」を観にいきました。


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 イライザとヒギンズ教授はダブルキャストで、わたしたちが観た公演は、イライザが朝夏まなとさん、ヒギンズ教授が寺脇康文さん。

 2年前、午前十時の映画祭で映画版『マイ・フェア・レディ』を観たときは、ヒギンズ教授という人物に好感が持てず、女性蔑視や労働者階級の人たちをばかにする態度に辟易。今の時代には作られないないようだなあと感じたのですが、舞台を観た印象は少し違いました。
 今回の舞台のために脚本を新たに翻訳し直したとのこと。それ以前に、これまでも時代に合わせて演出を少しずつ変えているようです。

 大地真央さんが最近までイライザを演じていたことにびっくりし、レックス・ハリソンが72歳で舞台でヒギンズ教授を演じたことにも驚きました。ちなみに映画でヒギンズ教授を演じたときは56歳で、イライザを演じたオードリー・ヘップバーンは26歳。初めて観たとき中学生だったわたしは、親子みたいにしか見えないふたりが恋愛関係になるのは違和感をおぼえました。無理もない……。舞台なら魔法がかかるけれど。

 朝夏まなとさんの歌、特に「踊り明かそう」の高音の伸びはすばらしかったです。

 そういえば、冒頭、イライザが花を売っているのは、公演が終わって、お客さんが続々と外に出てきているオペラ座の前。ヒギンズ教授の教育の成果を発表しにイライザが連れていかれたのがアスコット競馬場。奇しくもクイーンのアルバム "A Night at the Opera"(邦題「オペラ座の夜」)と "A Day at the Races"(邦題「華麗なるレース」)と同じ……というか、要するに上流階級の人たちは昼に競馬、夜にオペラを楽しむということですよね。
 ちなみに、 クイーンのアルバムタイトルはマルクス兄弟の映画 "A Night at the Opera"(邦題『オペラは踊る』 )と "A Day at the Races"(邦題『マルクス一番乗り』)から取ったようです。

長くつ下のピッピの世界展

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 多摩地域のタウン誌「asacoco」のプレゼント企画に当たり、東京富士美術館で開催していた「長くつ下のピッピの世界展 〜リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち〜」の招待券を2枚手に入れました。応募する際、石渡希和子さんによる連載記事「食べcoco」と「あるcoco」のファンで、7月に行われた原画展も見にいったなど、熱く(当社比)語ったおかげかも。
 招待券が2枚当たったけど、友だちがいないので一緒にいく人がいない〜などとツイートしていたら、やまねこ翻訳クラブの仲間で、リンドグレーン・ファンのBさんが一緒に行ってくれることになりました。招待券が届いたのが9月になってからで、会期は24日まで。わたしが旅行から帰ってきた13日以降で、土日は避けたい……とTwitterで世界中に公開しながら日程調整して、9月19日に行くことになりました。

 東京富士美術館はJR八王子駅北口・西東京バス14番乗り場から、創価大正門東京富士美術館行きもしくは創価大学循環のバスに乗り、創価大正門東京富士美術館で降ります。14番乗り場が見つからなかったり、京王バスだと思っていたバスが西東京バスだったり(小田急バスと立川バスみたいな関係でしょうかね?)、いろいろありましたが、すんなりつきました。

 展示はピッピが中心でしたが、やかまし村やロッタ、カッレくんなどもありました。イングリッド・ヴァン・ニイマンの絵は、60年前に描かれたとは思えません。ニイマンが描いた漫画版のピッピも面白かった。
「やかまし村」シリーズの絵を担当したイロン・ヴィークランド(ジンジャー・ビスケットを焼く場面の細かいこと! 3人が焼いているビスケットが、ちゃんとブタの形をしているのです)、桜井誠さんによる1964年刊行の日本語版の原画も展示されていました。桜井誠さんの絵、最初、わたしは原画の挿絵だとばかり思っていたのですが、Bさんも同じことを言っていました。

 
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 ピッピの家の模型や


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 ロッタの家を再現したもの(バムセがいる!)もありました。


 ショップも充実していて、迷いに迷って(ピッピの家も売っていた)、結局一筆箋と絵はがきを何枚か購入しました。それから、「やかまし村」シリーズの新訳が刊行される日が来ることを願って、『長くつ下のピッピ』の新訳(ニイマンの挿画をそのまま採用)も。

長くつ下のピッピの世界展」はこのあと宮崎、京都、名古屋、福岡、愛媛で巡回展が行われるようです。

 

チャペック兄弟をめぐる旅 9月12日

 ハノーファーのホテルをチェックアウトして、空港へ向かうべくハノーファー中央駅へ。


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 自動券売機で切符を買い、ジューススタンドでVitaminという名前のスムージーを買う。真っ赤でベリーがたっぷり入っているのかなと思った(実際、入っていたと思う)が、ひとくち飲んだらほのかにパセリの味がした。毛細血管の先のほうまでビタミンが届いている感じがする。やっぱりここ数日間、ビタミン不足だったのかな。

 チェコでもドイツでも、列車のなかによく犬が乗っている。空港へ向かうS-Bahnのなかで、向かい側の席に座った女性がチワワを抱いていた。乗り込むまでではカートの上に載せていたチワワを抱き上げ、着ていた服を脱がせると、ぎゅっと抱きしめた。いかにもこの子がかわいくてたまらないという様子で、チワワのほうも飼い主さんに抱かれて安心しているのかうとうとしている。眺めていると笑顔になってしまう。女性2人と男性1人とチワワ1匹というグループで、交わしている言葉はドイツ語ではなかったが、チェコ語やポーランド語でもなかったと思う。どこの国の人だったのだろうか。

 国際線だから3時間前には空港に着いていなければと思って早く来たけれど、ハノーファーのような小さい空港ではそこまで余裕を持つ必要はなかったかもしれない。乗る予定の飛行機のチェックインはまだ始まっていなかった。朝ごはんを食べていないので、空港内のカフェで何か食べることにする。まあ、もともとそうするつもりだったけれどね。


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 ベーカリーカフェでパンを2つとミルクコーヒーを買い、パンのひとつは紙袋にいれ、もうひとつをコーヒーと一緒に食べた。甘くない、質実剛健なパン。美味しい。


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 チェックインカウンターが開いたので、そそくさとチェックインを済ませ、出発ゲートに向かう。荷物チェックはあるけれど、パスポートコントロールはなし。免税店でかわいい缶に入ったチョコレートをいくつか見つけた。街中でいくら探してもなかったのに。デザイン重視でトランク型の缶に入ったマジパン入りチョコレートを選んだ。留守中家のことを全面的に任せている次女へのお土産。


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 ワルシャワに到着。行き、乗り継ぎ時間が1時間切っているなかで、荷物チェックとパスポートコントロールを済ませなければならなかったので、空港のなかはほとんど見ていない。帰りはパスポートコントロールと荷物チェックを済ませてもまだ時間に余裕があったので、免税店やカフェをのぞいた。結局、何も買わなかった。
 ワルシャワ・ショパン空港の出発ロビーのどこかにピアノが置いてあるらしく、誰かが入れ替わり弾いているのか、ほぼ絶えずピアノの音が聞こえていた。最初に気づいたときに流れていたのは「エリーゼのために」で、ショパンの「夜想曲第20番」が聞こえていたときもあった。どんなピアノなのか見にいけばよかった。

 帰りの搭乗時間は10時間弱。隣の席のカリフォルニア出身のマイクさんに話しかけられて、けっこうおしゃべりした。フレンドリーなだけでなく、わたしの拙い英語につきあってくれる辛抱強さも合わせもっている(笑)。日本で美術館巡りをするのだと言っていた。初めての日本滞在を楽しめますように。
 機内食が出たとき、隣の席の女性がビールを頼んだら、出てきたビールの缶がとてもかわいかった。わたしも缶目当てで頼めばよかったとちょっと後悔。

 いろいろトラブルやアクシデントはあったうえに、途中、体調が万全とはいえなくなってしまったが、ひどいことは起こらず、出会った人たちはおおむね親切で、とても有意義な旅だった。
 快く送りだしてくれた家族にも感謝したい。やり残したことも行きたい場所もまだまだあるし、チェココルナもまだ残っているから、チェコ、また来よう。


【余談】
 日本のパスポートを持った人間がシェンゲン協定加盟国に行く場合、パスポートコントロールを受けるのは、最初に入った国と最後に出る国だけ。今回、日本からの飛行機がワルシャワに着き、ワルシャワで日本行きの飛行機に乗ったので、わたしのパスポートにはポーランド出入国のスタンプしか押されていない。つまり、パスポートを見る限り、わたしはチェコにもドイツにも行っていないことになる……ちょっと残念。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(5)

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 ハノーファーは都会だった。ベルリンのような大都会ではないが、駅前に店が多くてにぎわっていて、お土産が調達できそうなのでほっとする。
 予約していた駅前のホテルにチェックイン。ちなみに今回の旅で一番宿泊料の高いホテル。部屋とベッドは一番狭いが、冷蔵庫があり、設備は整っている。何より駅に近いのがいい。ドイツで普通の観光をする気はまったくなく、移動しやすいことに重点を置いていたので、できる限り駅から近いホテルに泊まりたかったのだ。

 荷物を置いてひと休みすると、お土産を探しに出かけた。駅前にはデパートみたいな大型スーパーみたいな店舗がいくつかあり、大型書店もある。第2外国語でドイツ語を取っている次女にドイツ語の絵本でも……と思ったが、ドイツ人作家の作品も翻訳作品も区別なく並べられていて、絵が好きだなと思うとたいてい翻訳もの。ドイツ人作家の絵本を見つけるのは難しそうなので、あきらめた。

 ハノーファーをうろうろしているとき、Twitterのアカウントを乗っ取られている疑いがあるという通知がきた。実はチェコにいるときにも(普段と違う場所からアクセスされているからという理由で)アカウントを乗っ取られたのでは?という疑惑をかけられたのだが、本人であるならパスワードを変更せよという指示に従ってパスワードを変更し、事なきを得ていた。今回はダメで、アカウントをロックされてしまった。成田を発つときからずっとメモがわりにTwitterでつぶやいてきたのに……。最後の最後で残念なことが起こってしまったけれど、しかたない。

 お土産を買ったあと、最後にデパートみたいな大型スーパーみたいな店の地下で、Pink Ladyという種類のりんごと飲むヨーグルトと思しきものを買って、ホテルの部屋で食べた。りんごはおいしかった。プラハの宿で毎朝ネクタリンを1個食べてはいたけれど、スーパーや市場でもっと果物買って食べておくべきだった。今さらだけど。そして、飲むヨーグルトだと思って買ったものは、飲むヨーグルトではなく、普通のヨーグルトだった。スプーンなんてないので、無理やり飲む……。


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 明日はもう帰国の日。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(4)

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 入り口近くにある記念館に入り、先に腹ごしらえをしようとカフェに入る。ガラスケースに入っているサンドウィッチを食べようと思ったが、メニューにホットドッグを見つけ、ホットドッグにした。ほかにガス入りの水を買う。ホットドッグはIKEAの1階で売っている100円のホットドッグに似ている。ピクルスやフライドオニオン、ケチャップ、マスタードは自分でつける。胃腸が本調子でないせいもあったのか、あまり美味しくなかった。サンドウィッチにすればよかったのかなあ。

 展示をひとつひとつ見てまわり、記念館内の書店ものぞいた。各国語の本が並んでいたが、やはりアンネ・フランクの関連本が圧倒的に多い。
 収容所跡地はもちろん、記念館も入場無料だった。

 そろそろ帰りのバスの時間が近づいたので、停留所へ移動。イギリス人らしき老夫婦がベンチ座ってバスを待っていた。時間になったがバスが来る気配がない。時刻表にFやSといったマークがついていて、それぞれの意味が欄外に書いてあるが、ドイツ語のみなので判読できない。nur für はnot forの意味だろうか?と推測していると、イギリス人の男性の方に声をかけられた。nur für は only for なのではないかと聞いてきたので、Google翻訳さんに手伝ってもらったら、たしかにそうだった! Fは祭日、Sは平日。つまり、待っていたのに来なかったバスは祭日のみのバスだった。幸い10分も待てば平日のみのバスが来ることがわかったので、慌てず騒がず、のんびり待つ。

 終点で降り、900番のバスに乗り換えてツェレに戻った。帰りは行きより短く感じた。単に気持ちの問題ではなく、切符を見ると行きよりも運賃が安かったので、明らかに所要時間が短かかったのだ。
 ホテルに寄って、荷物を引き取った。事務室にいたのは中国人の男性だけ。スーツケースを道路まで運んでくれた。不思議なつくりだったが(19号室だと言われたのに、部屋番号が17番までしか見当たらず、階段の近くにあったドアを開けたら、そのなかに19号室と20号室のドアがあった。ちなみにドイツでは18は忌み嫌われる数字だそうで、18号室はない)、清潔だったし、オーナー(?)のお二人も感じよかったし、悪くなかった。もう一度ツェレに来るかどうかはわからないけれど。


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 自動券売機でハノーファー行きの切符を買っていたら、英語表記を選んでいたのに、途中からドイツ語に変わってしまった。なぜだ? 想像力を働かせて、なんとか購入。ホームに来ていたS-Bahnに乗り、ハノーファーへ。


チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(3)

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 ベルゲン・ベルゼン強制収容所は、もともとは国外で拘束されたドイツ人と交換するための「交換ユダヤ人」を集める場所を想定していたらしいが、1944年以降は病人や高齢者が移送されることが増えた。食料の少なさから衰弱死するものが多く、衛生状態の悪さから結核、赤痢などの伝染病も流行した。1945年2月ごろから収容所が解放されるまでのあいだはチフスが大流行し、イギリス軍による解放後、伝染病の拡散をふせぐため、収容所の建物はすべて焼き払われたそうだ。

 1938年9月、ミュンヘン協定によりチェコはナチス・ドイツに領土割譲(カレルはこの年の12月に逝去)、翌年3月に占領されてボヘミア・モラヴィア保護領となる。ナチスとヒトラーに対する批判を続けていたヨゼフは1939年9月1日、政治犯として逮捕された。ダッハウ(9月9日〜)→ブーヘンヴァルト(9月26日〜)→ザクセンハウゼン(1942年6月26日〜)の各強制収容所を経て、1945年2月25日にベルゲン・ベルゼンに移送される。4月4日に最後の生存確認が伝えられているが、その後、連合軍による解放直前にチフスで亡くなったと推測されている。チェコ版(およびそれを参照したと思われる英語版)のWikipediaに、1945年6月にヨゼフの妻ヤルミラがベルゲン・ベルゼンを訪れたが、亡骸を見つけることはできなかったと記されている。


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 収容所があった広い敷地内をゆっくりと歩いた。記念碑や焼却炉跡。遺族が立てた墓碑もある(ここで亡くなった人たちひとりひとりの遺体が確認できているわけではないので、墓碑の下に埋葬されているわけではない)。


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 収容所で一番の大通りだった場所で、『ヨゼフ・チャペックエッセイ集』を開き、「強制収容所からの詩」を改めて読む。それぞれの詩が具体的にいつ書かれたのかはわかっていない。「五年間」と「一九四四年霜月」が書かれたのはザクセン・ハウゼン滞在中なので、ほかの詩もたぶん同じころに書かれたのではないかと思う。
アンネ・フランクに会いに行く』(谷口長世著/岩波書店)によると、1944年から1945年にかけての冬、ドイツは激しい寒波に襲われ、氷点下の気温の日が続いたという。そんななか、暖房どころか防寒設備もなく、食べものも満足にもらえない状況で、チフスが流行してしまったら、感染しないのが奇跡だったかもしれない。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(2)

 ベルゲン・ベルゼン強制収容所の資料館のWebサイトに、ツェレから公共交通機関を使って行く人のためにバスの時刻表のリンクが貼ってあった。駅前のバス乗り場から900番のバスに乗り、終点で110番のバスに乗り換える。ぼーっと待っていると、反対側にあるバス乗り場にベルゲン行きと表示された100番バスが来た。えっ? ひょっとして、わたし、今まで反対側方向の乗り場で待っていたの?
 あとになって冷静に考えてみれば、900番のバスが行ったばかりだったのか、これから来るところなのかをまず確認するべきだったかもしれないが、そんな気持ちの余裕はなかった。運転手さんにこのバスでベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地に行けるかと聞いたら、終点で乗り換えれば行けると言われたので、飛び乗ってしまった。
 乗ったあとで、本当に大丈夫なのか不安になってきた。ツェレのバスの路線図(Webサイトからダウンロードしてプリントアウトしていた)を確認した。900番のバスの終点と100番のバスの終点を結ぶのが110番のバスで、あいだにベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地がある。このバスで大丈夫らしい。

 終点でバスを降り、運転手さんと一緒に時刻表を確認する。次の110番のバスまで1時間くらいあることがわかった。でも、天気もいいし、このあたりを散策すれば時間はつぶせるだろう。親切な運転手さんに改めてお礼を言った。チェコでもドイツでも、いつもこんなふうに親切な人に助けられた。慣れない土地で親切にされると本当にうれしい。
 思えば、テレジーンに行ったときもバスを降りそこなったっけ。テレジーンもベルゲン・ベルゼンも、すんなりたどり着いてはいけない場所なのかもしれない。そんなふうに考えて自分を納得させる。


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 バスの停留所があるのだから、このあたりでは一番にぎやかな場所なのだろうか。レストランがあり(午前中なので閉まっていた)、カフェがあり(開いていたけれど、お客さんがいなくて入りづらい)、教会があった。教会の前の広場には巨大なチェスの駒が。お祭りか何かのときに使われるのだろうか。バスの窓から眺めていたときにも感じていたけれど、家がでかい。これまでイギリスやオランダに行ったことがあるけれど、都市部が中心で、一戸建ての家はほとんど見たことがなかった。田舎町で一戸建ての家が並んでいるのを見ると、一軒一軒が日本の家に比べてひとまわりもふたまわりも大きく、窓もドアも大きいので、巨人の家を眺めているような気がしてくる。


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 ようやくやって来たバスに乗り、今回の旅の最終目的地、ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地へ。夏の終わりに咲くというヒースの花が、盛りは過ぎていたものの、まだ咲いていた。気候の厳しい土地に育つ植物なので、この土地の気候の厳しさがわかる。ここは『アンネの日記』のユダヤ人少女アンネ・フランクが亡くなった場所として知られているが、わたしがここに来ようと思ったのは、ヨゼフ・チャペックが最期の日々を過ごした場所だから……。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(1)

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 朝起きて、着替えると、ベルゲン・ベルゼン強制収容所方面に行くバス乗り場を確認しに駅前に行く。時刻表で時間も確認。バスは1時間に1本間隔。

 駅前にあるベーカリカフェに入ってみる。考えてみると、何かを食べるのは昨日の朝ごはん以来だ。パンをいくつも食べたくなる衝動に駆られたが、ひとつひとつが大きいし、まだ胃腸が本調子ではないので、ひとつだけ。パイ風のものにした。中身が何なのかわからないが(笑)、肉でないことを祈った。コーヒーも……と思ってメニューを見ると、イタリアのバールで見るような名前が並んでいる。そういえば、チェコのカフェもメニューはイタリア風だった。コーヒーの世界ではイタリアがヨーロッパを席巻しているのだろうか。
 お店の人に「グーテン・モルゲン」と声をかけると、「モルゲン!」と返ってきた(このあとお店の人とお客さんたちとのやりとりを見たのだが、朝の挨拶は「モルゲン!」らしい)。これを……とパンを指し、ミルクコーヒーを頼んだ。適当な席に座る。


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 パンというか、パイの中身はチョコレートクリーム。ヌテラのような味だったので、ナッツ入りのクリームだろうか。コーヒーのマグカップは日本のものよりひとまわり、ふたまわりくらい大きい。
 わたしが席に着いたとき、ほかにお客さんはいなかったのだが、その後、次々とお客さんがやってきた。パンとコーヒーだけでなく、簡単な料理も出しているらしく、常連客と思われる老夫婦の席にプレートに載った料理を店の人が席まで届けるのが見えた。

 ホテルに戻り、荷物をまとめるとチェックアウト。チェックインしたとき事務所にいたのは中国人の女性だけだったけれど、今朝は男性もいた。二人はホテルのオーナーなのだろうか。中国から遠く離れて、ドイツのこんな小さな町でホテルを経営しているなんてすごいとしかいえない。午後戻ってくるまでスーツケースを預かってほしいと頼むと、快く引き受けてくれた。何時になるかと聞かれたので、3時か4時だと答えると、その時間ならいるので大丈夫だと言う(予約サイトに「入口が閉まっていて、電話をかけないと入れなかった」と苦情を書いていた人は、運悪くチェックアウトの時間からチェックインの時間のあいだの時間の、誰もいない時間帯に到着してしまったのかもしれない)。

 ベルゲン・ベルゼン強制収容所への行き方については、やはり実際に現地に行かれた方が書かれたブログが役に立った。収容所へ向かうバスがあるのは夏だけで、夏になると資料館のWebサイトにバスの時刻表のリンクが貼られるといった情報は本当にありがたかった。ベルゲン・ベルゼン強制収容所については『地球の歩き方 ドイツ』(ダイヤモンド・ビッグ社)のツェレのページにも少し載っているが、『地球の歩き方 ベルリンと北ドイツ』のツェレのページにはなぜか載っていなかった。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月10日(2)

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 座席下のコンセントでiPhoneを充電しつつ、なんとかやりすごして、無事ベルリンに到着。ベルリンは大都会。ベルリン中央駅構内にはいろいろな店があり、カフェもたくさんある。ふらっとカフェに寄れる時間もある。ああ、体調さえよければ……。


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 デュッセルドルフ行きのインターシティが出るホームを確認し、列車に乗り込む。スーツケースを荷物置き場に押し込んで、席に座ったら、少しほっとしたせいか、気持ちが悪くなってきた。ハノーファーまで1時間45分くらい。大丈夫だろうか。
 途中、もうだめかも!と、同じ車両の後方にあるトイレに向かった。ふさがっているので、通路に座り込んで空くのを待つ。長いなあと思って立ち上がってよく見ると、〈閉鎖中〉と表示されている。よろよろ立ち上がって、前の車両後方にあるトイレに向かい、用を足してすっきりしたら、少し気分がよくなった。なんとかハノーファーに到着。


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 ハノーファーに着いたときにはへとへとで、ここからまたツェレまで列車に乗るなんてうんざりだった。今日、明日とハノーファーに泊まって、ベルゲン・ベルゼン強制収容所には明日、ハノーファーから行ってもよかったのに、なんでそうしなかったんだろう……。今日、ツェレのホテルに予約を入れていた自分の選択ミスをのろった。

 ツェレで泊まるホテル、最初は駅の近くのホテルが取れなくて、仕方なく駅から少し離れたところにあるホテルを予約していた。大きなスーツケースを持って長い距離を移動したくなかったし、予約していたホテルの評判があまりよくなかったこともあって、出発前に駅の近くのホテルに空きが出ていたのを見つけて予約を取り直した。先に予約していたホテルのキャンセル料を取られてしまったが、それでもほっとした。
 取り直したホテルは評判がいいのかというと、予約サイトに「到着したとき入り口に鍵がかかっていて、電話をかけないと入れなかった。スマホを現地で電話を使える設定にしていなかったので困った。予約サイトにはそんなことひとことも書いていなかった」というクレームが載っていた。ホテルに着いたら電話をかけないと入れてもらえないの……?

 そんな不安を抱きながら、S-Bahnに揺られてツェレをめざす。30分くらいで着くものだと思っていたのに、なかなか着かない。途中で列車の方向が変わり、降りる駅を過ぎてしまったのかと心配になってきたが、辛抱強く乗り続けて、終点ツェレに到着した。1時間くらい乗っていたような気がする。乗る列車によって所要時間は異なるようだ。駅名表示も車内アナウンスもドイツ語のみだった。

 めざすホテルは駅の近く、わかりやすい場所にあった。入口が開いているのが見える。電話をかけなくてもよさそうだ。道路から入り口まで階段を上らなければならず、大きなスーツケースを持つ身には少々きつい。呼び出しのベルを押して現れたのは中国人女性だった。チェックインを済ませ、あてがわれた部屋は日本でいう2階。らせん状の階段を上り、部屋に入ると、まずベッドに横になった。30分くらい仮眠するつもりが、目が覚めたら1時間過ぎていた。やはり相当疲れていたようだ。食欲がないので夕食はパスして、シャワーを浴びて寝る。

 1日がかりの長い鉄道の旅で疲れた。でも、強制収容所に移送された人たちの気持ちに少しは寄り添えたかも……。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月10日(1)

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 朝食を済ませ、荷物をまとめると、チェックアウト。チェックアウトするとき、朝食は宿泊料に含まれていたわけではなく、別料金だったことを知る。そういえばそうだったような……。4日分で600チェココルナ。日本円にして1日あたり750円。まあ妥当な値段だと思う。

 今日は列車で一路ドイツのツェレまで向かう。プラハからハンブルク行きのユーロシティに乗ってベルリンまで行き、ベルリンでデュッセルドルフ行きのインターシティに乗り換えてハノーファーで降り、ハノーファーでS-Bahnというローカル線に乗り換え、1日がかりでツェレまで行く。ツェレはベルゲン・ベルゼン強制収容所の最寄駅。

 プラハ本駅(Praha hlavní nádraží)までは地下鉄C線で2駅。名曲アルバム「ユーモレスク」の回によると、子どものころから鉄道が好きだったドヴォジャークは、プラハ本駅近くに住み、列車を見にいくが好きだったらしい。車両番号をメモし、時刻表を暗記していたそうだから本物だ。
 気持ちが焦るあまり、時間に余裕を持って出たのだが、もう少しゆっくりしてもよかったかもしれない。プラハ本駅に着いたとき、出発列車の案内板にわたしの乗る予定の列車はまだ表示されていなかった。まあいいかと、お土産になりそうなものを探して駅構内にある書店やいろいろなお店をのぞいてみた。とりあえず水だけ買って、あとはベンチでひたすら待つ。


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 駅構内に木目調のアップライトピアノがあった。ただ置いてあるだけなのかと思いきや、自由に弾いていいらしく、女性が弾き始めた。

 わたしが乗る予定の列車が出発列車の案内板に表示されたが、どのホームから出発するのかがなかなか表示されない。前後に出発する列車が表示されてもしばらく空欄のまま。ベルリン中央駅での乗り換え時間は50分ほど。乗り継ぎ時間に余裕が欲しかったので、ベルリン到着後の1時間5分くらいあとに発車する列車を予約していたのだが(チェコ鉄道のWebサイトでは10分後の列車を勧められたが、大きな駅だし、ドイツ語もわからないし、そんな短い乗り換え時間では絶対に無理だと思った)、事情によりベルリン行きの列車のルートが若干変わり、ベルリン中央駅到着が少し遅れ、乗り継ぎ時間が50分になってしまった。日本の感覚なら余裕で乗り継げるのだろうが、ヨーロッパの列車は日常的に遅れると聞いているので安心できない(イタリアはけっこうひどかったが、ドイツでも30分くらい遅れることがあるらしい)。今回の旅の懸念事項のひとつが、ベルリンで無事乗り換えられるかどうかだった。
 同じ列車に乗ると思われる人たちとやきもきしながら案内板を眺め、出発ホームが表示されると、一目散にホームをめざす。わたしが乗る車両は259号車なのだが、260号車の前の車両はなぜか257号車。ない!と焦ったが、259号車は256号車の前にあった(255、258、259、256、257、260……という謎の並び順)。定刻通り出発し、ひと安心。

 今回の旅で、できれば食堂車を利用してみたいと思っていた。プラハからベルリンまでの所要時間は4時間、ちょうどお昼どきをはさむので、ぴったりではないか。でも、この3日間、毎日こってりした肉料理を食べ続けてきたせいか、わたしの胃腸は悲鳴を上げていた。疲労がたまっていたのかもしれないし、緊張もあったかもしれない。食べる気が起こらなかった。胃がムカムカして、水すらも受けつけない。車内販売のワゴンがうらめしかった。


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 チェコ国内最後の停車駅、ジェチーン(Děčín)。


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 ドレスデン(Dresden)に到着。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月9日(2)

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 テレジーンはエーガー川をはさんで大要塞(Hlavní pevnost)と小要塞(Malá pevnost)に分かれている。大要塞から小要塞までは歩いて行ける。タクシーの運転手さんが降ろしてくれたのは、大要塞の中心部にある、ゲットー資料館(Muzeum ghetta)の近くの広場だった。テレジーンの全貌を写真入りで紹介した大きな案内板も立っている。まず、ゲットー資料館に入ってみた。


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 受付でチケットを買うと、テレジーンの地図をくれた。この地図がとてもわかりやすかった。1階にテレジーンにいた子どもたちの絵がたくさん展示されている。自由だったころの思い出や、テレジーンでの暮らしなどが描かれている。展示の解説はチェコ語とドイツ語、英語とヘブライ語。子どもたちはテレジーンのゲットーでヘブライ語を教わることもあったようだ。ゲットーで亡くなったと思われる子どもたちの名前が壁一面に書かれていて、言葉を失う。
 テレジーンのゲットーは音楽隊の存在で知られている。ユダヤ人を人道的に扱っていることを赤十字にアピールするため、ほかの収容所よりも外観が丁寧に作られていて、赤十字の訪問時には音楽隊の演奏で迎えていた。赤十字が帰ったあとは用済みになり、新しい収容者のための場所を作るために、音楽隊のメンバーはアウシュビッツなどの強制収容所に送られた。ここで33,000人が亡くなっているという。ここで暮らしていた人たちについて、パネルで説明されていた。「アウシュビッツに送られ、死んだ」というものが多いなか、「テレジーンに残り、解放された」「アウシュビッツに送られ、生き延びた」という人もいる。


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 大要塞内をひと通り見てまわったあと、川を渡って小要塞へ向かう。歩いて15分くらい。小要塞の手前に広い墓地がある。きれいに手入れされていて、それぞれのお墓の横で赤い花が咲いている。十字架とダヴィデの星が見守っていた。

 ゲットー資料館の入場券で大要塞にある戦争博物館(Magdeburska Kasarna)や小要塞にも入れる。小要塞に入るとレストランの看板が見えたので、お昼を食べようと思って入ってみたら満席。仕方がないので、レジ横で売っているサンドウィッチとガス入りの水を買って、外のベンチで食べた。


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 ゲシュタポ刑務所として使われていた小要塞は、当然ながら大要塞とはまったく異なる雰囲気。かなりの人数が収容されていたと思われる部屋は、電気はなく、明かりは天窓から入る光のみ。天気の悪い日は真っ暗だ。


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 しかし、奥に進むと、明かりとりの天窓すらない、もっと狭い部屋が並んでいた。ここに入れられた人たちには人としての尊厳などは与えられていなかったのだろう。


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 一方、ドイツ将校が住んでいたというに家は広い庭があり、立派なつくりだった。

 ショップでテレジーン音楽隊のCDを購入。そもそもここへ来た目的のひとつがこのCDを買うことだった。


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 目的を達成したので、プラハに戻ることにする。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月9日(3)

 テレジーンにバスの停留所は大要塞(Hlavní pevnost)の広場と、大要塞と小要塞(Malá pevnost)のあいだの2か所にある。大要塞と小要塞のあいだの停留所の時刻表をあらかじめ調べていた。バスの時間が近くなったので停留所に行くが、待っても待ってもバスが来ない。遅れているのかと思ったが、土日は走っていないバスだったのかもしれない。そのうち、ほかの人たちもやってきた。バスは来ない。時刻表、時間通りに並んでいないのでわかりにくい。ひょっとしたら、平日の時刻表の横に土日の時刻表が書いてあったのかもしれない。そもそもチェコ語が読めない。チェコに来るまえにもう少し勉強して、せめて時刻表くらいは読めるようになっておくべきだったと反省。
 ようやく来たバスはほぼ満席だったが、わたしを含め待っていた人は全員座れた。長距離バスは日本の観光バスのような椅子の並び方で、これで立っているのはきつそうだなあと思っていたが、途中の停留所からも結構乗ってきて、最終的には通路が人でふさがる状態に。

 1時間近く乗って、ナドラジー・ホレショビッツ(Nádraží Holešovice)に到着。ここから地下鉄C線に乗り、まだお土産を買っていないので、途中のムゼイム(Muzeum)で降りる。改札を出てすぐのところにアルベルト(Albert)というスーパーがあり、ビールとアップルサイダーとビスケットなどを買った。留守を任せている次女が喜びそうなお土産を買いたいけれど、スケジュールがいっぱいで、ゆっくり探している時間が取れない。プラハ滞在が金曜日〜日曜日で、土日はたいていの店が休みというのもよくなかったし、2日間遠出したのもよくなかった。

 でも、お土産を買うために旅行しているわけではないし……。気を取り直して、昨日も行った大型書店に行く。1階(日本式にいうと2階)にあるカフェのケーキ類の入ったショーケースに、プラハに来たら食べたいと思っていたメドヴニークがあるではないか!


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 さっそく食べてみた。表面の食感がきな粉っぽくて、もちもちしているわけではないけれど、なんとなく信玄餅を思い出してしまった。家庭で作るおやつといった感じの素朴な味で、カフェ・ルーブルのメニューにないのもちょっと納得。

 この書店でチェコ語・英語の辞書を買った。ある程度文法がわからないと辞書は使えないので、すぐには役に立たないだろうけれど、とりあえず今買っておく。

 一度宿に戻り、ひと休み。この宿の0階(日本式にいうと1階)にレストランがあり(経営は別)、せっかくだから一度行ってみることにした。見た目にインパクトがあるので食べてみたかった(というか写真を撮ってみたかった)豚膝肉のローストがメニューにあるのを見つけたが、900gもある!(メニューには肉の重量がグラムで表示されている)1人ではとても食べられない。2日続けて豚のローストを食べたので(いくらソースや添えてあるものが違うとはいえ)ローストはもうたくさん。というわけで、豚のカツレツにしてみた(ちなみにカツレツは150g)。サイドメニューにクネドリーキの文字を見つけたので、一緒に頼んでみた。


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 出てきたカツレツはポテトサラダと一緒に直径20cmくらいの皿にどん!と載せられている。 そして、クネドリーキ! すいとんみたいなのが出てくると思っていたのに、全然違うのが出てきた。大きい。しかも3つもある……。
 カツレツとポテトサラダは完食したけれど、クネドリーキはひとつ半食べてギブアップ。残してしまってごめんなさい。パンとバター(ハーブ入り?)がかごに入って一緒に出てきたが、お腹いっぱいなので手を出さなかった。後で知ったのだが、パンは料金に含まれているわけではなく、食べていたら、その分料金を請求されていた……。

 はちきれそうなお腹を抱えて部屋に戻り、しばらく休んでから、シャワーを浴びてベッドへ。洗濯は昨日で終わり。明日はプラハを出て、ドイツに向かう。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月9日(1)

 今日はチャペック兄弟をめぐる旅はお休みして、テレジーン(Terezín)に行く。

 テレジーンはもともとオーストリア・ハンガリー帝国の時代に作られた要塞で(テレジーンという地名はマリア・テレジアに由来している)、第1次大戦中に捕虜収容所として使われたのち、ナチスがゲットーとした。日本語版ウィキペディアなどではテレジーンは強制収容所だと明記してあるが、テレジーンにある博物館の名称がゲットー資料館(Muzeum ghetta)だということからも、テレジーンは強制収容所ではなくゲットーだといえる。現実的にはユダヤ人を一時的に収容する中継収容所だったらしいが。
 なお、テレジーンには大要塞(Hlavní pevnost)と小要塞(Malá pevnost)があり、ゲットーがあったのは大要塞。小要塞はゲシュタポ刑務所として使われていた。

 テレジーンに興味をもったのは、“La pioggia porterà le violette di maggio”(Matteo Corradini作/Lapis)というイタリア人作家が書いた児童書を読んだのがきっかけだった。プラハに住むクラリネットを吹いている少女が主人公で、誕生日に両親から古いクラリネットをプレゼントされ、最初の持ち主について調べているうちにテレジーンのことを知るという内容。
 テレジーンについては『地球の歩き方 チェコ/ポーランド/スロヴァキア 2018~2019』でも紹介されていて、プラハからどうやったら行くのかもおぼろげながら把握できたが、最新の情報を調べているうちにフランス在住の日本人でクラリネット奏者(!)の女性が今年の春にテレジーンを訪れていて、ブログにテレジーンまでの行き方や見どころなどを詳しく書いてくださっているのを見つけた。これでわたしも安心してテレジーンに行ける!と、ひと安心。ありがとうございます!


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 朝食を食べて、出発。


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 宿からバスターミナルのあるナドラジー・ホレショビッツ(Nádraží Holešovice)駅までは地下鉄C線で1本。地下鉄を降りて、バスターミナルに向かう。バスは1時間に1本で、テレジーン行きのバスは7番乗り場から出る、切符は乗るときに運転手から買える……これらはすべてブログに書いてあった。待っているうちに人がたくさん並んできた。テレジーンに向かう人、多いのかな。ほぼ満員の状態でバスは出発した。
 所要時間は約50分……と、これもブログに書いてあった。途中、廃墟のような場所を通り、バスは終点の鉄道駅に到着した。バスの乗客のほとんどはこの鉄道駅をめざしていたらしい。わたしはテレジーンを通り過ぎていた。運転手さんに「テレジーンに行きたかったんですけれど……」と言ったら、タクシーで行くように言われた。運よくタクシーが2台停まっていて、1台は運転手が座席を倒して寝ていたので、もう1台のほうの運転手さんに声をかけて、テレジーンまで連れていってもらう(プラハからテレジーンまでのバス料金よりちょっと多いくらいのお金を払うことになってしまった)。


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 到着した場所は、さっきバスの窓から見えた廃墟のような場所だった。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月8日(3)

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 窓辺に花を飾っている家が多くて、何ともかわいい。


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 駅の近くで見かけたチャペック兄弟記念館の看板。


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 チェコでは土曜の午後と日曜日、お店は休み。この日は土曜日だったので村で開いているお店はなく(そもそもお店の絶対数が少ないのだが)、予定より1時間早く、2時過ぎの列車でプラハに戻ることにした。とりあえず来た列車に乗ってフラデツ・クラロヴェー(Hradec Králové)まで戻り、駅のインフォメーションセンターでプラハまでの行き方を聞いたら、わたしが回避していた2回乗り換えるルートを教えてくれた。乗り換え時間が短いのが難だが、チェコ鉄道のサイトの案内によると、乗り換えにかかる標準時間は4分で、9分あるから大丈夫らしい……列車が遅れなければ。

 というわけで、フラデツ・クラロヴェーからパルドゥビーツェ(Pardubice)まで快速列車(Sp / Spěšný)に乗り、パルドゥビーツェでプラハ行きの特急列車(Rx / Rychlík vyšší kvality)に乗り換えることに。


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 フラデツ・クラロヴェーから乗った快速列車。パルドゥビーツェが終点。


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 パルドゥビーツェで乗り換えた特急列車はブダペスト発スロヴァキア経由でプラハに向かう国際列車。追加の特急料金か何かが要るのではないかと不安になり、フラデツ・クラロヴェー駅の窓口で確認したら、不要だとのこと。どんな車両が来るのかドキドキして待っていたら、普通の列車がやってきた。車内は長旅の人がほとんどで、予約票の入っていない席を見つけて、落ち着いた。車内には長旅に疲れた様子の人たちがちらほら。近くの席にいた家族のお父さんはiPadで映画を観ていて、お母さんと娘さんは寝ていた。


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 4時半ごろプラハに到着。明日は日曜日で休みの店がさらに増えてしまうので、お土産を探す。

 大きな書店を2軒のぞいたが、ひとつめのは大きすぎてどこに何があるのかよくわからなくて疲れてしまった(チェコ語がわからず、表示が読めないからだけれど)。2軒目で『ダーシェンカ』と『こいぬとこねこのおかしな話』の原書を購入。チェコのお店では原則として袋に入れてくれない。やまねこトートを持ち歩いていてよかった。

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 台所用品などを探して、大きなスーパーに行ってみたものの、売っているものがIKEAと大差なくてちょっとがっかり。ホーローのボウルかざるが欲しいのだけれど……。
 アイスクリームを買って食べながら、しばらくさまよっていたけれど、欲しいようなものは見つからないし、疲れてきたので、宿に帰ることにした。ここで地下鉄の駅に向かえばよかったのだが、地下鉄の駅構内を歩くのが面倒くさくなり、トラムのほうが楽!とばかりに、適当なトラムに乗ってしまったのが失敗だった……。

 路線図を見て、宿の近くを通りそうだと思って乗ったトラムが、全然近くを通らない。慌てて降りて、Googleマップのナビを頼りに宿まで歩くことを試みるも、近づくどころか、どんどん遠ざかっていく。なぜ? いっそ最初に乗った場所に戻ろうと乗ったトラムが逆方向行きだったことに気づき、慌てて降りようとしたが、ドアが閉まってしまった。何やっているんだろう、わたし……。仕方なく、少し冷静になって、次の停留所で降りようかと考えながら路線図を眺めていると、このまま乗っていれば、少し先の停留所で宿の近くを通るトラムに乗り換えられることが判明。冷静、大事!

 というわけで、何とか宿にたどり着いたのは9時ごろ。言葉のわからないわたしがこの時間にひとりで出歩くことができるのだから、プラハは治安がいいのだろうなあと思う。
 お昼がたっぷりだったし、アイスクリームを食べたので(というかもともと夕食代わりにするつもりで食べた)、今日も夕飯はパス。シャワーを浴びて、洗濯をしてベッドに入る。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月8日(2)

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 そうこうするうちにマレー・スヴァトニョヴィツェ(Malé Svatoňovice)に到着。小さな駅だが、日ごろ利用している自宅最寄駅も似たような規模。


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 線路沿いに歩き、踏切を越えて、坂道を登っていくとチェペック兄弟の銅像が見えてきた。ヨゼフはスケッチブック、カレルはじょうろ(!)を持っている。


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 すぐ横に教会と聖母像があり、チャペック兄弟記念館(Muzeum bratří Čapků)はその向かい。元は兄弟が暮らしていた家が記念館になっている。


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 見学者はわたしだけ。1階はカレルに関する展示、2階はヨゼフに関する展示になっていた。説明はチェコ語のみで、何が書いてあるかは想像するしかない。写真や原稿、絵(原画もあれば、〈コピー〉と明記されたものもある)のほかに、ヨゼフが使っていた画材(絵の具や筆など)も展示されていた。『園芸家12カ月』の各国語版が展示されているなかに、なぜか『山椒魚戦争』の日本語版が天地逆で展示されていて(日本の本は右綴じだから間違えたのだろうか?)、教えるべきか悩む……。ちなみに『園芸家12か月』の邦訳はわたしが持っているのを同じ中公文庫版が展示されていた。『山椒魚戦争』の各国語版を展示しているコーナーもあって、ここに日本語版を加えるスペースはなさそうだったので、口をつぐむことにした。


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 出るときに受付でこいぬとこねこの絵のついているキーホルダーを買ったら、ヨゼフとカレルの似顔絵が描いてある飴をくれた。裏はダーシェンカ!


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 お昼を食べる前に、周囲を少し散策してみた。教会(Kostel Sedmi radostí Panny Marie;聖母の7つの喜びの教会)はドアが閉まっていてなかには入れなかったので、外からのぞかせてもらっただけ。聖母像がある六角形(八角形だったかも)の建物をのぞいてみると、なかから水が湧き出しているのが見えた。


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 茶白の猫と会う。チェコに来てから出会った2匹目の猫。辛抱強く接した甲斐あって、ちゃんとした写真が撮れた。やはり日本の猫と顔が違う。


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 教会のすぐ横にダーシェンカという名前のカフェがあったが、営業時間が13時からだったのであきらめ、記念館裏にあるSalamandr(山椒魚)というレストランに入る。閑散としているかと思いきや、なかに入るとお客さんでにぎわっていた。鶏肉が食べられないわたしは豚肉を選ぶしかなく、豆が好きなので、ポークのローストに豆が添えられているものを選んだら、付け合せのじゃがいもはどうしますか?と聞かれたので、フライは重いしなあ〜と思い、ゆでたのにしてもらった。


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 直径20cm以上あると思われるお皿にドーン!と盛られた料理が登場。豚肉は豆の下に隠れている。日本なら大人数で取り分けるサイズ……完食したけれど。
 レストランで飼っているらしきヨークシャーテリアの仔犬が床を走りまわっていて、近くのテーブルにいた女の子がなでていた。わたしも写真を撮ったけれど、動く物体の撮影は難しい。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月8日(1)

 プラハに着いて3日目。今日チャペック兄弟が子ども時代を過ごした村で、チャペック兄弟記念館があるマレー・スヴァトニョヴィツェ(Malé Svatoňovice)まで出かける。ヨゼフが生まれたのはこの近くのフルノフ(Hronov)だが、まもなく一家でこの村に転居。カレルはここで生まれた。


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 遠出をするので、朝食はしっかり取る。

 プラハからマレー・スヴァトニョヴィツェへの行き方について、『チェコへ行こう!』(すげさわかよ著/河出書房新社)にはプラハからバス3時間+鉄道20分と書いてあったが、チェコ鉄道のWebサイトで調べたら、プラハ本駅(Praha hlavní nádraží)から列車1本で行けることがわかった。それが7月で、そのときはなぜかチェコ鉄道のWebサイトでこの列車のチケットは買えなかったので、時間だけ調べて、プリントアウトしておいた。直前にもう一度チェックしたら買えるようになっていたが、行きは1本で行けるのに、帰りのプラハ行きの直行列車はなぜかなくなっていた。1回か2回乗り換えなければならなくならず、2回の乗り換える経路のほうが所要時間は短いが、乗り換え時間が短くて不安なので、乗り換える列車を1時間近く待つことになるが、乗り換え1回の経路を選んでチケットを購入した。


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 プラハ本駅の駅構内。美しい。もっと写真を撮っておけばよかった。


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 わたしが乗る特急(R / Rychlík)の先頭はこんな電気機関車。頭のなかに「世界の車窓から」のメロディーが流れ始める。

 列車に乗り込んだら、発車時間まで時間があるのに、突然ドアが閉まって列車が動き出した! ひょっとして、間違った列車に乗ってしまった? 焦ったけれど、停車位置を直しただけだと近くにいた女性が英語で説明してくれた。すぐに止まって、ドアが開いた。ほっ。


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 席は自由席。同じ列車にコンパートメントの車両とオープンな席の車両が混在している。空間が広いほうが好きなので、オープンな車両を選んだ。順調に進んでいるかと思いきや、途中駅でみんな列車を降り始めた。大勢降りるような駅なのかなあ?とそのまま座っていると、乗務員さんがやってきて、バスに乗り換えるように言われた。訳のわからないまま列車を降り、駅前に並んで止まっているバスに向かう。どれに乗ったらいいのかわからなかったが、列車のなかで通路をはさんで隣にいた母娘が乗っているのが見つけたので、同じバスに乗り込み、空いている席に座る。
 まるで「世界の車窓から」から「世界の街道をゆく」に突然番組が変更になってしまったような戸惑いを感じていたが、列車の窓からでは見えない車窓を楽しむことにした。隣の席の男性は数独をやっていた。バスのなかで酔わずにできるのはうらやましい。

 1時間くらいバスに揺られ、フラデツ・クラロヴェー(Hradec Králové)駅に到着。


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 帰りに1時間ほど乗り継ぎ待ちをする予定の駅。比較的大きく、駅前にはカフェもあるから、時間つぶしはできそうだ。バスから降り、駅構内に向かったものの、どの列車に乗ったらいいのかわからず、戸惑っていると、前の列車で通路をはさんで隣にいた母娘のお母さんが3番線だと英語で教えてくれた。
 このときは何が起きたのかわからず、まわりに合わせて動いていただけだったのだが、あとで調べて、途中の区間が線路交換のために閉鎖されているため、バスで代替輸送しているのだと知った。チェコ鉄道のWebサイトにちゃんと書いてあったのに、見逃していた……。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月7日(4)

 一度宿に戻ろうと思って地下鉄のホームまで降りたが、戻ったところですぐにまた出なければならないような気がして、地上に戻る。家族(というか留守を任せた次女)へのお土産を探すが、これというのが見つからない。明日と明後日はプラハから離れるし、そもそも土日休みの店が多いので、金曜日のうちに見つけておきたかったのに。そもそも、観光しながら地元の人が行くような普通の店を探そうとするのが無理なのだろうか。

 少し早いけれど、鏡の礼拝堂(Zrcadlova kaple)へ。コンサートめあてとおぼしき人たちが入り口近くのベンチに座って待っている。チケット売場はどこだろう? 開場したら入り口で売ってくれるのかな?などと考えているうちに開場。よく見ると、みなさんチケットを手に持っている。「チケットはどこで売っているのですか?」「あそこの入り口で」指差す先にあるのはクレメンティヌムの入り口。わたしはどういうわけか裏口から入ったので、入り口は通らなかったのだった(昼間、鏡の礼拝堂を探していたときに教えてもらったのが、裏口からの行き方だった)。入り口まで走っていって、チケットを購入。前の方のエリアと後ろの方のエリアがあり、料金が若干違う。前の方のエリアのを買った。600チェココルナ。当日のレートで3,000円くらい。


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 鏡の礼拝堂のなかはとても素敵だった。なかに入れただけでもうれしい。コンサートはドヴォジャーク交響楽団のメンバーによる演奏で、演目は演奏順に、ビゼーの「カルメン」より序曲、ドヴォジャークのユーモレスクと「新世界より」よりラルゴとスラヴ舞曲8番、スメタナのモルダウ……とここまでは弦楽四重奏で、ここからヴァイオリンソロとチェンバロが加わって、ヴィヴァルディの「四季」。アンコールナンバーはアルビノーニのアダージョ。
 こちらの時間の夜の8時は日本時間の夜中の3時。体内時間は正直で、演奏を聴きながら眠気に襲われる。でも、なんとかこらえた。記憶が途切れたりはしていない……はず。録音禁止という注意書きが貼られていたのにも関わらず、最前列の男女がスマホで動画を撮り始めて、チェリストから仕草で注意されていた。

 演奏時間は1時間程度。終了後、地下鉄でホテルに戻ろうとして、2駅行ってから逆方向に乗ってしまったことに気づき、慌てて降りて乗り直した。
 ホテルに戻って、シャワーを浴びて、洗濯をして、ベッドに入る。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月7日(3)

 iPhoneの充電が終わったので、プラハ城(Pražský hrad)へ向かう。晴れたので傘は置いていった。

 宿の近くから22番のトラムに乗り、ヴルタヴァ川を越え、その名もプラハ城という停留所で降りる。入り口で荷物チェックを受けて構内へ。鞄のなかを見せるなど、けっこう厳重だった。有料のツアーに参加すると建物の奥のほうまで入れて、いろいろと見られるらしいが、時間もないので、ただうろうろして、外から眺めるだけ。でも、外から眺めているだけで聖ヴィート大聖堂(Katedr á la svat é ho Víta)にすっかり心を奪われてしまった。まるでダークなファンタジーに出てくるお城のよう。『地球の歩き方 aruco チェコ』(ダイヤモンド・ビッグ社)によると「最初はロマネスク様式の教会として930年に造られ、最終的にゴシック様式で20世紀に完成した」とのこと。聖ヴィート大聖堂内部のムハによるステンドグラスは拝めた。


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 高台からプラハの町を眺める。

 入ったのとは別の出口から出て、石畳の坂道を歩いていくと、チェロの二重奏をしている男女の若者がいた。楽しそうに弾いていたのは「美しき青きドナウ」。この春から次女がチェロを習い始めたので、ついチェロに目がいってしまう。路上でチェロの演奏っていうのもいいなあ。コインを投げて、写真を撮らせてもらった。


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 ひたすら歩いてカレル橋(Karlův most)へ。自分で描いた絵や手作りのアクセサリーなどを売っている人が多いけれど、やはり楽器を演奏している人に目がいってしまう。しばし立ち止まって、ヴァイオリンとチェロの女性2人の演奏を聴く。

 カレル橋のあとは、夜8時からのクレメンティヌム(Klementinum)内にある鏡の礼拝堂(Zrcadlova kaple)でのコンサートを聴きにいくつもりだったので、場所を確認する。6時からと8時からの2回あることと、それぞれの演目を改めて確認(出発前、コンサート関係を紹介するウェブサイトで日程と演目を見ていた)。確認できたけれど、もう一度この場所にたどり着ける自信はない……。

 プラハで一度くらいはカフェに入ってみたいので、カレル・チャペックも通ったという老舗カフェ、カフェ・ルーブル(Cafe Louvre)に入ってみた。入り口でレストランかカフェか聞かれ、カフェと告げるとカフェ側に案内され、好きな席に座っていいと言われた。


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 現在チョコレートケーキを研究中ということもあり、看板メニューのあんず入りザッハトルテを注文。本来ならコーヒーを頼みたいところだが、夕方以降にコーヒーを飲むと眠れなくなってしまうので、カーモミールティーにした。チェーン店を含むチェコのカフェメニューを眺めるかぎり、イタリア風のコーヒーを出す店が多いようだ。とはいえ、イタリアのバールような立ち飲みの店はない。日本と似たような感じかな?
 カーモミールティーが先に来て、しばらく経ってからザッハトルテが運ばれてきた。大きさ(日本で普通に売っているケーキのひとまわりかふたまわりは大きい!)と、側面にフォークが刺さっていることに衝撃を受ける。フォークもでかい。
 カフェはにぎわっていて、満席に近かった。それぞれのテーブルでおしゃべりに花が咲いているので、ざわざわしていたけれど、しゃべっている内容がわからないせいか、あまり気にならなかった。そもそもカフェってサロンみたいなものだから、こういう感じなのかもしれない。
 わたしよりあとに入って隣に座ったのは女性1人で、静かに本を読んでいた。そういう人もいる。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月7日(2)

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 10時になったので、ようやくドヴォジャーク博物館へ。受付の女性にどこから来たのか尋ねられ、日本からだと伝えると、展示の説明を日本語に翻訳したものを渡してくれた。展示は1階にほぼ集中していて、ドヴォジャークが亡くなったあと、夫人が寄付したものが中心らしい。楽譜のほか、愛用のヴィオラやピアノも展示されていた。2階には白いグランドピアノと椅子が並べられている広い部屋(定期的に演奏会が行われているらしい)のほか、代表的な曲のいくつかをヘッドフォンで聴ける部屋がある。ユーモレスクをオリジナルのピアノ演奏で聴いているうちに、なぜか涙がこぼれてきた……。
 記念に何か買いたくて、受付に置いてあったドヴォジャークのベスト盤CDを購入。


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 帰りに入り口前で猫と会う。チェコに来てから猫に遭遇するのは初めてだった。

 続いて、チャペック兄弟とドヴォジャークのお墓のあるヴィシュフラド墓地(Vyšehradský hřbitov)へ向かう。『地球の歩き方 aruco チェコ』(ダイヤモンド・ビッグ社)によれば、6・7・18・24番のトラムに乗り、Albertovで降りてすぐのはずが、案内表示板があるわけでもなく、全然すぐではなかったし、広大な敷地に入ってからも、なかに教会やら何やらいろいろあって、墓地にたどり着くまでかなり苦労した。どこかで道を間違えたのだろうか?
 墓地の横の教会で(正確には教会の横に墓地があるのだが)結婚式が始まろうとしていた。リムジンが黒白2台停まっていて、招待客らしき正装の人たちが続々と集まっている。オルガンが奏でるメンデルスゾーンの結婚行進曲を聞きながら、カレル・チャペックのお墓を見つけ(ヨゼフがデザインしたロケット型のお墓)、特別感のあるドヴォジャークのお墓を見つけ、最後にヨゼフのお墓を見つけた。ヨゼフはここに埋葬されているわけではないが、残された人たちのためにお墓は必要だ思う……。


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 今回、観光客が訪れるようないわゆる名所・旧跡を訪ねるつもりはなかったのだが、カレル・チャペックの『チェコスロヴァキアめぐり』(飯島周訳/筑摩書房)にプラハ城(Pražský hrad)について書かれた箇所があり、読んでいるうちに高いところからプラハ全体を見下ろしてみたくなった。ついでにカレル橋(Karlův most)にも行ってみよう。

 その前にお昼ごはんを食べなければ。ヴィシュフラドを出て、地下鉄の駅方面に向かって歩く。近代的なオフィスビルが並ぶ、新市街よりさらに新しい街並みのなかに、レストランがいくつかあった。メニュー読めるかな?と不安を抱きつつ、看板にRestaurantと併記してあるからには英語のメニューもあるだろうと思われる店に入ってみる。
 ランチメニューは英語併記ではなかったが、メニューを持ってきてくれた店員さんが英語で説明してくれた。とりあえず鶏肉でないものを……という観点でポークに野菜とじゃがいもが添えてあるものを選んだら、スープも勧められたので、スープも頼んだ。スープはじゃがいものポタージュ。スープカップはどんぶりサイズ。メインは直径20cmくらいの大皿に載って出てきた。ポークソテーにラタトゥイユみたいなゆでた野菜と、ゆでたじゃがいもにサワークリームがかかったものが添えられている。じゃがいもづくし。ボリュームたっぷり。飲みものは炭酸入りの水。完食した。

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 とりあえず一度宿に戻って、iPhoneを充電し、そのあいだに自分も少し休むことにする。地下鉄の駅まで向かう途中、プラハに来て初めて車椅子の人を見た。石畳のせいか、公共交通機関のバリアフリー化が進んでいないせいか、車椅子の人をほとんど見かけない。わたしがお昼を食べた店のあたりの歩道は石畳ではなくアスファルト。その代わりに(?)喫煙者は東京よりもよく見かける気がする。歩行喫煙は多い。煙草をくわえながらトラムを降り、外に出た瞬間にライターで火をつける女性もいた。この新しい街並みに立つオフィスビルはたぶん屋内禁煙らしく、入り口近くやベランダで喫煙している人たちの姿が見えた。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月7日(1)

 プラハ2日目。町に慣れるため、今日は終日プラハで過ごす。

 昨日、現地時間の11時ごろに寝たのに、12時半(日本時間の5時半)に一度目が覚め、もう一度寝ることを試みるも2時間後に目が覚めてしまった。そのあとは寝つけず。体内時計は正直だ。結局5時台に起きてしまった。


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 この宿で朝食を食べるのを楽しみにしていた。ビュッフェ形式で好きなものを好きなだけ取って食べられる。ハム、チーズ、生野菜、パンを2種類、ヨーグルトとりんごジュースを取り、あとから追加でコーヒーとネクタリンも。パンは全種類制覇したいなあ。

 まず、宿の近くにあるドヴォジャーク博物館に行ってみるつもりだったが、博物館が開くのは10時。朝食を終えた時点でまだ8時にもなっていなかったので、予定を変更し、先にチャペック兄弟の碑があるミール広場(Náměstí Míru)へ行くことにした。ここもホテルから歩いて行ける距離にある。登校途中の子どもたち(必ず保護者が付き添っている)や散歩中の犬たち(もちろん飼い主さんも一緒)と行き交ううちにあっという間に着いた。


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地球の歩き方 aruco チェコ』(ダイヤモンド・ビッグ社)には「ミール広場に立つカレル・チャペックの碑。兄ヨゼフの碑もある」と書かれていたのだが、最初に目に飛び込んできたのはヨゼフの碑だった。カレルのはどこだろう?と思ったら、ヨゼフの碑の裏がカレルの碑だった。積み上げられたブロックみたいなものに、点を彫ってつなげて字を表したシンプルなもの。角度によっては読めなくなるので、うっかりしていると見逃しそう。ヨゼフとカレルが裏表になっているのが仲よし兄弟を象徴しているみたいで微笑ましい。
 写真は撮らなかったけれど、ミール広場の近くに伝統がありそうな劇場があった。どうやらカレルが演劇顧問と演出を担当していたという、ヴィノフラディ劇場(Divadlo na Vinohradech)だったようだ。

 この時点でまだ9時ごろ。天気予報では11時ごろから雨になるはずが、早くもぽつぽつ降ってきた。傘なしで堪えていたけれど、本降りになってきたので傘を開く。
 今日は1日市内をうろうろするつもりなので、地下鉄A線Náměstí Míru駅で地下鉄・トラム共通で使える1日乗車券を買い、でもまだ地下鉄には乗らず、地上に戻って歩き続ける。
 散歩中の犬たちとまた行き交いながら歩き(犬は多いが、猫は今のところあまり見かけない)、ドヴォジャーク博物館に到着するが、まだ9時40分くらい。とりあえず博物館の場所は確認できたのでもう少し歩く。歩き続けるうちに、カレル広場(Karlovo náměstí)に到着。木がたくさんあって、ベンチもたくさん。雨でなければベンチに座って休めるのになあ。木に囲まれ、犬や鳥に遭遇しながら歩いていると、なんだか昭和記念公園のなか(入ってすぐの無料エリア)を歩いているような気がしてきた。木には馴染みのない実がなっているし、落ちた実をついばんでいる鳥たちも日本で見かけるのとは違う種類だけれど。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月6日(2)

 現地時間16時40分ころにワルシャワに着陸。プラハ行きの出発時間が17時50分なので、なんとか間に合ったが、乗り継ぎ時間は1時間ちょっと。降りて、パスポートコントロールと手荷物検査を経てプラハ行きの搭乗ゲートにたどり着く。搭乗はまだ始まっていなかった。ほっ。そして、若干遅れるとアナウンス。ここまで来たから、もう遅れてもいいよ(少しなら)。
 案内されたプラハ行きの便はなんとプロペラ機! プロペラ機に乗るのは、大昔、タイで国内線に乗って以来かもしれない。
 フライトは順調で、1時間半ほどでプラハに到着。預けていたスーツケースが出てくるのが見えたときは、心底ほっとした。パスポートコントロールはワルシャワで済ませているので、あとは空港から出るだけ。

 市内へ向かうエアポートエクスプレスの乗り場に向かう。チケットはみんな乗るときに買っていたので、わたしもそうする。プラハ本駅まで連れていってもらい、プラハ本駅(Praha hlavní nádraží)から地下鉄C線で宿泊先の最寄り駅、イー・ペー・パヴロヴァー(I. P. Pavlova)へ(この駅名の元になった場所の名前は、パブロフの犬で知られる帝政ロシア・ソビエト連邦の生理学者、イワン・ペトローヴィチ・パブロフに由来するものだということを帰国後に知った)。地上に出た瞬間、自分がどこにいるのかわからなかったけれど、マクドナルドを目印に地図を見て、宿泊先の場所を確認。大通り沿いのわかりやすい場所にあったので、簡単にたどり着いた。ヨーロッパでは住所は通りの名前と番号になっているのでわかりやすい。日本にいるときよりも地図が読めるような気がする。
 プラハでの宿泊先は家族経営のペンション。ブジェジナという名前で選んだのだが(笑)、地下鉄の駅から近く、トラムも何本か走っていて、便利なところ。フリーWi-Fiはあるし、部屋に電源も多いし、ここにしてよかった。


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 シャワーを浴びて、洗濯をしてベッドに入る。時差があるからだまされているが、起きてからすでに24時間が過ぎている。長い1日だった。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月6日(1)

 今年はわたしにおけるチェコ年で、カレル・チャペック没後80年でもある。まとまった休みがあるので、勢いでチェコに行くことにした。せっかくなので「チェペック兄弟を巡る旅」というテーマをつけ、チャペック兄弟の生涯をたどってみることにした。

 朝3時15分に起きて、最寄り駅から始発に乗り、東松戸でアクセス特急成田空港行きに乗り換える。10時15分発のポーランド航空ワルシャワ行きに乗るため、余裕をもって搭乗時間の3時間前に成田に着いたのに、ワルシャワからの便が遅れているため、出発時間が2時間半以上遅れることが判明! 
 おわびに空港内で使える1,500円の食事券をくれたが、東松戸で電車を待つあいだにサンドウィッチを食べてしまったのでお腹は空いていない。そんなことより、ワルシャワからプラハへの乗り継ぎ便、大事をとってワルシャワ到着の3時間半後にしていたのに、乗り継ぎ時間が1時間もなくなってしまった。乗り継ぎ時間が50分程度では特別扱いにならないらしい。預けたスーツケースには、乗り継ぎ時間が短いことを注意喚起するタグをつけてくれたけれど、大丈夫かなあ。
 6年前、娘2人を連れてアムステルダム乗り換えでローマに行ったとき、離陸直前になって飛行機にトラブルが発生し、出発時間が1時間くらい遅れ、アムステルダムでの乗り換えが駆け足になってしまい(駆け足になっても、パスポートコントロールと手荷物チェックは免除されなかった)、KLMのスタッフに「何やってるの! もう、みんなとっくに乗っているのに!」と叱られ、おまけに次女の荷物が乗り継ぎ便に乗り損ね……と散々だった。だから、乗り継ぎ便は避けたかったのだが、日本からプラハに直行便はないのだった……。

 スターバックスでiPhoneの充電をしながら時間つぶしをしていたが、どうにも落ち着かないので、さっさと出国手続きを済ませ、中で待つことにした。搭乗ゲート付近には身体を伸ばして休める席もあれば、電源とUSBポートのある席もあったので、中に入って正解だった。旅のお供に持ってきたカレル・チャペックの『園芸家12か月』は成田に来るまでのあいだに読み終わってしまったので、満を持して『ガルヴェイアスの犬』を手に取る。
 そうこうしているうちに10時過ぎにワルシャワからの飛行機が到着(本来なら8時40分ごろ到着するはずだった)。ワルシャワ行きの搭乗時間がさらに遅れるとアナウンスがあり、そうなると、ワルシャワ到着がさらに遅れる? 乗り継ぎ便に間に合うのか? 不安になってスタッフに確認すると、当初の予定より到着時間が早まりそうだという。へえ。よくわからないけれど、少しでも早く着けるならいいか。


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 ようやく搭乗。後ろのほうの席の人から乗るように案内があったにもかかわらず、自由な人がけっこう多かったせいで、前のほうの通路がふさがれていて、少々乗りにくかった。わたしの席は後方ブロックの一番前、離着陸のときに客室乗務員が座る席の正面。テーブルやスクリーンの出し入れが少々面倒だったけれど、前に座席がなく、圧迫感がないのはよかった。脚も伸ばせるし、トイレも近いし。
 10時間強のフライト時間のうち、8時間くらいはロシアの上を飛んでいると知る。広いなあ、ロシア。出発地の現在時刻、到着地の現在時刻などと一緒に、到着予定時刻が表示されるのをときどき見て、一喜一憂。機内食を二度食べたほかは、音楽を聴きながら『ガルヴェイアスの犬』の続きを読んだり、映画『Love, Simon』(『サイモンvs人類平等化計画』の映画版)を観たり、ちょっと眠ったりした。

8月に読んだ本

 最近、本を読むのに時間がかかり、なかなか読み進められないのが悩み。読書メーターには記録しなかったけれど、読書会参加のため、『IQ』をさらっと再読しました。
『ものがたり白鳥の湖』は、ずっと町田樹さんに贈りたいと思っているのですが、町田さんはプレゼントは受け取らないからなあ……。
『みけねこキャラコ』は娘たちが京都で入ったチョコミントパフェのお店に置いてあったそうで、読んでみるように勧められて。模様の少ない三毛猫なんて、かりんみたい。『ふしぎなしっぽのねこ カティンカ』も、かりんのようなすごいしっぽをした猫の絵本でした。どちらの絵本もモデルになった猫がいるのでしょうか?

8月の読書メーター
読んだ本の数:18
読んだページ数:2404
ナイス数:123

ものがたり白鳥の湖ものがたり白鳥の湖感想
ため息が出るほど美しい絵本。巻末エッセイで吉本真悟さんが書かれているように、これはジークフリード王子の成長物語。そういえば、わたしが唯一生で見たことがあるバレエが「白鳥の湖」で、生まれて初めて買ってもらったレコードがチャイコフスキーの「白鳥の湖」だった。
読了日:08月29日 著者:ものがたり白鳥の湖編集室
日本のヤバい女の子日本のヤバい女の子感想
おかめ、死ななくてもよくない? 冒頭のおかめの話が一番の衝撃だった。あと、殺された馬が不憫……。
読了日:08月29日 著者:はらだ 有彩
みけねこキャラコみけねこキャラコ感想
キャラコは三毛猫。でも、茶色が少なくて、しかも目立たない場所にあるため、三毛猫らしくないことが悩み。模様が少ないみけねこなんて、まるでうちのかりんみたい!と思って読んでみた。
読了日:08月28日 著者:どい かや
火曜クラブ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)火曜クラブ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)感想
数十年ぶりに再読。「お年寄り」「老嬢」と呼ばれたのが40過ぎだったり、「品のいい老紳士」が50代だったり……。物語と関係ないところで衝撃を受けた。ミス・マープルは何歳なのだろう?
読了日:08月28日 著者:アガサ クリスティー
ソフィーのくだものばたけソフィーのくだものばたけ感想
『庭をつくろう!』や『ソフィーのやさいばたけ』が好きな人なら、絶対気にいるはず。
夏休み中に引っ越しが決まったソフィーにはちょっとかわいそうだったけれど、終わりよければ……ということで。
読了日:08月27日 著者:ゲルダ・ミューラー
みえるとか みえないとかみえるとか みえないとか感想
このテーマで楽しい絵本を作り上げたことが何よりもすごいと思う。
読了日:08月24日 著者:ヨシタケシンスケ,伊藤亜紗
ふしぎなしっぽのねこ カティンカ (児童書)ふしぎなしっぽのねこ カティンカ (児童書)感想
表紙のねこがかりんと似ていて(しっぽがすごいところとか)、個人的にはそれだけでも読む価値があると思う。
読了日:08月24日 著者:ジュディス カー
ヨゼフ・チャペック エッセイ集 (平凡社ライブラリー)ヨゼフ・チャペック エッセイ集 (平凡社ライブラリー)感想
ようやく読了。弟カレルを亡くしたあとに書かれた「庭の思い出」は読んでいて涙が出そうになる。読んでいる側はこの数年後、ヨゼフの身に何が起きるのか知っているし……。
読了日:08月23日 著者:ヨゼフ チャペック
山本容子プラハ旅日記山本容子プラハ旅日記感想
銅版画家の山本容子さんがプラハを旅したときの絵日記(?)を書籍にしたもの。ヴェネツィアで購入したという真っ赤なノートの見開きに2ページに描かれたスケッチとメモがそのまま(若干補足されて)載っている。取材で行かれたようで、一般人が飛び込みで行っても入れない・見られない場所がいくつかあって、ちょっとくやしい。
読了日:08月13日 著者:山本 容子
チェコスロヴァキアめぐり―カレル・チャペック旅行記コレクション (ちくま文庫)チェコスロヴァキアめぐり―カレル・チャペック旅行記コレクション (ちくま文庫)感想
巻頭の地図で場所を確認しながら読んだ。チェコの地名、少しは頭に入ってきた。
読了日:08月13日 著者:カレル チャペック
エマおばあちゃん、山をいく~アパラチアン・トレイルひとりたび~エマおばあちゃん、山をいく~アパラチアン・トレイルひとりたび~感想
60代後半の女性が女性初のアパラチアン・トレイル全行程の踏破に挑戦する姿を描いた絵本。達成後、さらに2回(うち1回は数回に分けてだけれど)踏破したというのがすごい。
読了日:08月13日 著者:ジェニファー サームズ
モンゴル大草原800年 (福音館の単行本)モンゴル大草原800年 (福音館の単行本)感想
絵本で読むモンゴルの歴史。比較的文章量が多く、絵も細かいので、じっくり向き合って読む必要がある。作者は『トヤのひっこし』のコンビ。
読了日:08月12日 著者:イチンノロブ・ガンバートル
私の少女マンガ講義私の少女マンガ講義感想
萩尾望都さんがいかにマンガを愛しているかが伝わってくる。それにしてもたくさん読んでいらっしゃる。わたなべまさこ先生のコマ割りを記憶で手繰り寄せられることにもびっくり。コマ割りに特化したマンガの解説本、誰か書いてくれないかなあ。
読了日:08月11日 著者:萩尾 望都
ピエールくんは黒がすき!ピエールくんは黒がすき!感想
作者が日本語版に寄せたメッセージによると、この絵本を作った目的のひとつは黒と白は色ではないという誤った見解を正すためだったらしい。
読了日:08月06日 著者:ミシェル・パストゥロー
ジャーニー 国境をこえてジャーニー 国境をこえて感想
これまでの生活を捨てて、身ひとつで国外に逃れることがどういうことなのかが1冊の絵本のなかにぎゅっと詰まっている。
読了日:08月05日 著者:フランチェスカ・サンナ
よくばり学園 (文学の扉)よくばり学園 (文学の扉)感想
奥付によると、作者と原書出版社了解のうえ、原書の4分の1ほどを削り、編集し直してあるらしい。削った部分が気になる。
読了日:08月05日 著者:ファブリツィオ・シレイ
コナン・ドイルショートセレクション 踊る人形 (世界ショートセレクション)コナン・ドイルショートセレクション 踊る人形 (世界ショートセレクション)感想
『IQ』を読み終え、そういえばホームズはたいして読んでいないことに気づいたので、手っ取り早く手に取ってみた。読むべきは「バスカヴィル家の犬」のような気もするけれど、ホームズの口調とIQの口調はやはり似ていることを確認できた。アタランタという地名でカリン・スローターを思い出したり。古きを読んで新しきを思う。
読了日:08月05日 著者:コナン・ドイル
軋む心 (エクス・リブリス)軋む心 (エクス・リブリス)感想
21人の独白で構成されている。殺人があり、幼児誘拐が起きる。21人の語りを合わせても、埋められないピースが残る。
読了日:08月03日 著者:ドナル・ライアン

読書メーター

生命の言葉ーー9月

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 7月、8月はあっというまに過ぎてしまい、9月になったという実感がありません。去年までは次女が高校生だったので、学校に通うようになれば9月だったのですが、今年は大学生。次女の通う大学は9月末まで夏休みです。

 それでも、9月になったのは事実なので、近所の神社まで恒例の月詣でに行ってきました。

 今月の生命(いのち)の言葉です。

いかにして まことの道に かなひなむ 千とせのうちの 一日なりとも

 江戸時代の禅僧、詩人、歌人、書家の良寛の言葉です。「千年のうちで たとい一日でも 誠の道に叶うような 行ないをしたいものだ」とのこと(弟子の貞心尼編『蓮の露』より)。

 おみくじは吉でした。「旅行 事故に注意し出発せよ」とあったので、注意を怠らないようにしなければ。


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