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今年はふたりで(3日目)

 8月22日(木)、京都3日目(最終日)。

 京のおばんざいの朝食をたっぷり食べ、チェックアウトして、荷物を駅に送ったら、次女とバスに乗って出町柳へ。念願の出町ふたばさんの豆餅を食べることができました。

 ここでいったん次女と別れ、わたしは仁和寺へ。高校を卒業した春休みに友人と4人できたことがあり、おぼろげに、「百億の昼と千億の夜」の弥勒菩薩がいるお寺だと思い込んでいました。
 出町柳からバスで北野白梅町に出て、嵐電北野線・御室仁和寺駅で下車。仁和寺に行きたかったのか、嵐電に乗りたかったのか……まあ、両方です。

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 去年も4年前も嵐電に乗れなかったことが、心残りだったのです。

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 修復工事中ではありましたが、普段見られない金堂や経堂が特別拝観中で、ガイドさんの方の話が聞けて得した気分。畜生道、餓鬼道などの絵は面白かったし(餓鬼道に落ちた人、自分の脚食べている)、「聖☆おにいさん」でおなじみの(?)アナンダくんにも会えたし。

 観光バスで訪れる団体客はいたし、外国人旅行客もちらほらいましたが、それでも、伏見稲荷と比べるとずっと静かでした。

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 拝観しながら、「百億の昼と千億の夜」に出てくる弥勒菩薩がいるのはここではない!と気がつきました。弥勒菩薩がいるのはここからそう遠くない、撮影所で有名な太秦にある広隆寺でした……。

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 3種類のご朱印をいただきました。期間限定の特別なご朱印(5種類)もありましたが、書き置きだと聞いて、じゃあいいかな……と。

 御室仁和寺駅からまた嵐電北野線に乗り、帷子ノ辻駅で嵐電嵐山線に乗り換え、太秦広隆寺で降りると、広隆寺は目の前。

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 603年建立、京都最古のお寺だそうです。わたし以外に拝観者は1〜2名しかいなくて、ひっそりとしていました。ご本尊の弥勒菩薩に会えました。

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 ご朱印をいただきました(スタンプで、日付だけ手書き)。


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 ふたたび嵐電嵐山線と嵐電北野線を乗り継ぎ、撮影所前で降りて太秦駅まで歩き、JR嵯峨野線で京都へ。

 次女と待ち合わせてお昼を食べました。お土産を買って、荷物を引き取り(預ける場所を間違えて、ばたばたしてしまった)、新幹線に乗りました。行き帰りの新幹線の中で読書会の課題本を読むつもりが、行きはほかのことをしてしまったし、帰りは寝てしまいました……。それに、東京・京都間って、思ったよりあっという間に着いてしまいます。

 来年も行けるといいなあ。

今年はふたりで(2日目)

  8月21日(水)、京都2日目。

  京のおばんざいの朝食をたっぷり取ったら、次女と別れ、東寺へ。東寺は去年、奈良に行った帰りに車窓から五重の塔を見ただけ。この日はY翻訳クラブの関西在住メンバーとランチオフをすることに予定で、弘法市の日だと教えてもらったので、それまでの時間つぶしにぴったりだと思って、行ってみました。

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 五重塔は有料エリアなので、遠くから眺めるだけ。

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 ご朱印をいただきました。

 わたしが五重塔を眺めていたころ、その少し先で交通事故があったことをあとで知りました。

 京都駅まで歩き、地下鉄と京阪を乗り継いで、出町柳へ。今回、出町柳でランチをすることになったのは、駅のすぐそばにある出町ふたばさんという美味しいお餅やさんを複数の方に勧められたから。毎週火曜日が定休日だということは把握していたけれど、まさか21日まで夏休みだとは……。わたしは次の日に行けばいいのですが、出町ふたばさんの豆餅を楽しみにわざわざ遠くから足を運んでくださったみなさんに、申し訳ない。オフの日程を決めるときに確認しておけばよかった。

 駅を出て、商店街を歩いていると、スーパーの前で鯖街道を歩いてきた小学生を歓迎して、くす玉を割るところでした。邪魔にならないよう、少し遠まわりして、待ち合わせ場所の出町ろろろさんに向かうところで、Y翻訳クラブのCさんに遭遇。開店時間前でまだ開いていなくて、立ち話をしていると、Lさんが登場。立ち話を続けていると、突然激しく雨が降り始め(最近、一次的に局所的な豪雨になることが多くありませんか?)、気がつくと開店時間(=予約時間)をすぎていたので、お店に入ると、Mさんがすでにいらしていました。

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 出町ろろろさんの外観を撮り忘れました。写真はCさん提供(ありがとう〜)。お料理はこんな感じ。ちょこちょことした料理がたくさんあって、うれしかった。自分で作るのは面倒なものこそ、外食で食べたい。

 ランチのあとは、下鴨神社へ。ちなみに、去年、娘たちと3人で来たときも、4年前にダンナとふたりで来たときにも寄っています(うちの家族は「有頂天家族」が大好きなので、聖地巡礼みたいなもの)。

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 下鴨神社の摂社、河合神社に寄りました。美麗の神だそうで、お参りして、ご朱印をいただいたあと、かりん美人水というものをいただきました。

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 夜、暗くなると、アートイベントをやっているそうで、あちこちに白い玉が置いてありました。明るいところだと妙なものに見えるけれど、暗いなか、ライトアップされたらきれいなのかな?

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 お参り後、さるやでかき氷をいただきました。ふわふわの氷。食べても、頭がキーンとなりません。ちなみにかき氷を食べたのはこの夏2度目。

 Cさん、Mさんとはここでお別れして、Lさんと一緒に四条烏丸界隈に向かいます。先約があってランチには来られなかったPさんと待ち合わせ。Pさんとお会いしたところで、Lさんとはお別れ。Cさん、Mさん、Lさん、Pさん、みなさんお忙しい中、時間を作って会ってくださるのは本当にありがたいし、うれしいです。
 Pさんとはポーランドの話や映画の話、最近のあれこれの話など、まったりというよりは少々暑苦しく話し込みました。

 Pさんと別れたあと、次女と待ち合わせ。河原町丸太町いるというので、河原町通を上ってもらい、わたしは四条河原町から上り、そのうちどこかで出くわすだろうと……と、実に適当(笑)。京都の中心部は碁盤の目のようになっていて、河原町通と四条通が交差するところが四条河原町〜というふうに、よそものにもわかりやすいし、町の大きさもほどよいです。

 新京極を歩いて、修学旅行生の気分に浸ったあと、目に入ったお好み焼き屋さんに入りました。隣のテーブルには外国人旅行客2名(ひとりがベジダリアンだった模様)。タブレットで写真を見ながら注文していくので、日本語がわからない人にもわかりやすいかな。

 ぱんぱんのお腹も、ホテルに着くころには落ち着きました。この日も大浴場へ。こうして、京都2日目は終了。(3日目に続く)

今年はふたりで(1日目)

 昨年夏は娘たちと女3人で京都を旅しましたが、今年は次女とわたしの二人旅。行き帰りと夕飯だけ一緒で、昼間は別行動という気楽な旅でした。

 去年と同じ、下鴨神社の古本市の時期に行きたかったけれど、お盆の時期は高いので断念(2泊3日の新幹線+ホテルのパックが1万円くらい違うのです)。

 8月20日(火)のお昼すぎに京都に到着。荷物をホテルに送り、お昼と食べると、次女と別れ、前から行きたかった、絵本のこたちさんへ。

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 京阪・中書島駅から20分程度てくてく歩き、冷房の効いた店内が心地よかったです。

 前から気になっていた 写真集『京都ほんやら洞の猫』(甲斐扶佐義著/エディション・エフ)を買いました。

 中書島まで、またてくてく歩き、京阪で伏見稲荷へ。4年前も行きました。ええ、好きなんです、稲荷さん。おみくじは末吉。「あきない そん多し、しかし強くおせば良き事あり」だそうです。もっと強引に押してみるか〜。境内で猫に遭遇
 京阪の駅に向かう途中、参道にあるお店でスズメの焼き鳥を見つけました。思えば、生まれて初めて伏見稲荷に来た小学生3年生か4年生のころ、夕方で薄暗くなっていて、参道のお店でニワトリではない鳥の焼き鳥を売っていて、それがとても怖かったのですよね。その数年後、真夏の昼間にひとりで来たとき、明るいし、焼き鳥はないし、ここの何が怖かったのだろう?と思ったのですが。今回、久しぶりに見て、数はほんの少しですが、とても怖かったです。スズメの形をしていました。鳥は見るものであって、食べるものではありません。

 さて、駅前で豆腐アイスなんぞを食べているうちに、4時近くなってしまい、社寺詣でをするには遅い時間になってしまいました。京阪で出町柳まででて、出町柳周辺の書店をのぞくつもりが、叡電の乗り場に近い出口から出てしまったので、勢いで叡電に乗りました。そのまま勢いで鞍馬まで行ってしまおうかと思ったけれど、片道30分くらいかかるのでさすがにやめ、一乗寺で降りて、恵文社一乗寺店に行きました。ここも毎回寄っているような……。

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 そうこうするうちに、次女から連絡が入ったので、京都駅で待ち合わせ、ホテルのある四条烏丸まで歩きながら、適当なお店で夕飯を食べようということになりました。

 通りの反対側にカプリ食堂というお店を見つけ、気になるので道路を渡ってのぞいてみて、よさそうなので入ってみました。レモン料理専門店だそうです。サラダ、ピッツァ、リゾット……どれもレモンが入っていました。すぐそばのテーブルにドイツ人の母娘(国籍と関係性は推定)がいて、娘さんがわたしたちの食べているものを気にしてちらちら見ているのが面白かった。ドイツ人とわかったのは、二人がドイツ語で話しているのを次女が聞いたから。そういえば、わたしは伏見稲荷とJR奈良線の中でイタリア人に遭遇しました。

 腹ごなしにホテルまで歩き、チェックイン。お湯が熱めの大浴場で筋肉をほぐし、1日目は終了。(2日目に続く)

広島に行ってきました

 11月9日(金)〜11日(日)、NHK杯を見に広島に行ってきました。お目当てはセルゲイ・ヴォロノフさん。8月にザ・アイスを見に名古屋まで足を運んだけれど(そのときの日記)、やっぱり競技も見ておきたい。2014-2015 シーズンからひそかにファンになり、1987年生まれなので、毎シーズン、今季で見納めかも……という気持ちで見てきて、今年で4年目。去年のNHK杯も(家庭・仕事の状況上、無理だと思いつつ)行きたいなあとチケットを申し込んだものの、撃沈。今年は友人たちの協力もあって無事ゲットできました(ちなみに抽選結果を知ったのは、ワルシャワ・ショパン空港で乗り継ぎ便を待っているとき)。

 広島は2度目。3年前、次女がアメリカに留学する前に一度は行っておくべきではないかと思い、2人で行ってきました。原爆ドーム、平和記念資料館、広島城、広島護国神社、厳島神社、宮島水族館などを訪れ、広島在住の友人にも会いました。何を食べても美味しく、行く先々で親切にしてもらって、いい思い出しかありません。だから、次のNHK杯は広島だと知ったとき、広島なら行きたいなあとも思ったのでした。

 9日のお昼過ぎに広島駅に到着。ホテルに荷物を預けて、お昼を食べに入った福屋の9階でNHK杯フィギュア 氷上の軌跡展をやっていたので寄りました(8月に東京でやっていたとき、行けなかったので、広島で見られてよかった)。
 さて、会場となった広島県立総合体育館、上のほうの席でも見やすくてよかったです。その分、傾斜が急で、階段を降りるとき、ちょっと怖かった……。トイレの絶対数が少なく、休憩時間のたびにトイレの列がものすごくて、わたしは隣の武道場まで遠征しました。ここだけの問題ではないけれど、何とかならないものでしょうかねえ……。
 1日目はペアSP→女子シングルSP→氷上オープニングセレモニー→男子シングルSPを観戦。アリーナじゃないからTVには映らないはずと思っていたのに、男子SPの前に客席で本を読んでいるわたしの姿がTVに映っていたらしい(行きの新幹線のなかで読み終えた『ヒトラーと暮らした少年』の訳者あとがきを読んでいるところでした。ロシアやイタリアの旗を振ってはしゃいでいるところじゃなくてよかった)。侮れないな、スタンド席。
 休憩時間におにぎり食べて腹ごしらえしながら、Y翻訳クラブの仲間5人で集い、不思議な気持ちになりました。

 2日目はアイスダンスRD→ペアFS→女子シングルFS→男子シングルFSを観戦。女子はとにかくすごくて、何度もスタンディングオベーション。ため息ついたり、心が洗われたり、笑いころげたり。表彰台もメダルも3つじゃ足りない(でも、全米選手権のピューターメダルは微妙)。
 男子はいろいろありました。紀平梨花ちゃんのフリーのスコアを超えたのが1位の宇野昌磨くんと2位のヴォロノフさんだけだったという……。いえ、それだけ紀平さんがすごかったということなのですが。
 ヴォロノフさんの今季のフリーを見るのはザ・アイス、スケアメに続いて3回目(スケアメは生で見たわけではないけれど)。回数を重ねるたびに完成度が上がり、それに比例して疲労度も増している……? 演技終了後のヴォロノフさんがなかなか立ち上がらなくて、ちょっと心配に……。フリーの曲は "Way Down We Go (from "Logan" trailer) performed by Kaleo"、振り付けはデニス・テンくん。『LOGAN/ローガン』は観ていなくて、今さらのようにストーリーを確認して、ひょっとしたら、へとへとになって立ち上がれないところまでが演出?と思えてきました。
 応援していたマッテオ・リッツォくんの銅メダルはうれしい。

 3日目はアイスダンスFDとレジェンドオンアイスとエキシビションが行われましたが、エキシビションの最後まで見ると、その日のうちに家に帰り着けそうにないので、最初からあきらめ、チケットは取りませんでした。広島港に行ったり、もう一度原爆ドームを見にいったり、広島護国神社を参拝したりしたあと、少し早めのお昼を食べ、家族にお土産を買って、新幹線に乗りました。

 1日目のお昼ごはん
 2日目のお昼ごはん
 3日目のお昼ごはん
 この3日間、まともに食べたのはお昼だけでした。朝はまあまあしっかり食べたけれど、夜はおにぎりだけ。


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 2日目の朝に原爆ドームへ行きました。


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 路面電車に乗るのも楽しみにしていました。あてもなくただ乗る。


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 瀬戸内海が見たくて、広島港へ。子ども時代の一部を瀬戸内で過ごしたので、潮の香りをかぐと気持ちが落ち着きます。


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 広島護国神社は七五三の家族連れでにぎわっていました。よその人が入らない写真を撮るのに一苦労。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月12日

 ハノーファーのホテルをチェックアウトして、空港へ向かうべくハノーファー中央駅へ。


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 自動券売機で切符を買い、ジューススタンドでVitaminという名前のスムージーを買う。真っ赤でベリーがたっぷり入っているのかなと思った(実際、入っていたと思う)が、ひとくち飲んだらほのかにパセリの味がした。毛細血管の先のほうまでビタミンが届いている感じがする。やっぱりここ数日間、ビタミン不足だったのかな。

 チェコでもドイツでも、列車のなかによく犬が乗っている。空港へ向かうS-Bahnのなかで、向かい側の席に座った女性がチワワを抱いていた。乗り込むまでではカートの上に載せていたチワワを抱き上げ、着ていた服を脱がせると、ぎゅっと抱きしめた。いかにもこの子がかわいくてたまらないという様子で、チワワのほうも飼い主さんに抱かれて安心しているのかうとうとしている。眺めていると笑顔になってしまう。女性2人と男性1人とチワワ1匹というグループで、交わしている言葉はドイツ語ではなかったが、チェコ語やポーランド語でもなかったと思う。どこの国の人だったのだろうか。

 国際線だから3時間前には空港に着いていなければと思って早く来たけれど、ハノーファーのような小さい空港ではそこまで余裕を持つ必要はなかったかもしれない。乗る予定の飛行機のチェックインはまだ始まっていなかった。朝ごはんを食べていないので、空港内のカフェで何か食べることにする。まあ、もともとそうするつもりだったけれどね。


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 ベーカリーカフェでパンを2つとミルクコーヒーを買い、パンのひとつは紙袋にいれ、もうひとつをコーヒーと一緒に食べた。甘くない、質実剛健なパン。美味しい。


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 チェックインカウンターが開いたので、そそくさとチェックインを済ませ、出発ゲートに向かう。荷物チェックはあるけれど、パスポートコントロールはなし。免税店でかわいい缶に入ったチョコレートをいくつか見つけた。街中でいくら探してもなかったのに。デザイン重視でトランク型の缶に入ったマジパン入りチョコレートを選んだ。留守中家のことを全面的に任せている次女へのお土産。


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 ワルシャワに到着。行き、乗り継ぎ時間が1時間切っているなかで、荷物チェックとパスポートコントロールを済ませなければならなかったので、空港のなかはほとんど見ていない。帰りはパスポートコントロールと荷物チェックを済ませてもまだ時間に余裕があったので、免税店やカフェをのぞいた。結局、何も買わなかった。
 ワルシャワ・ショパン空港の出発ロビーのどこかにピアノが置いてあるらしく、誰かが入れ替わり弾いているのか、ほぼ絶えずピアノの音が聞こえていた。最初に気づいたときに流れていたのは「エリーゼのために」で、ショパンの「夜想曲第20番」が聞こえていたときもあった。どんなピアノなのか見にいけばよかった。

 帰りの搭乗時間は10時間弱。隣の席のカリフォルニア出身のマイクさんに話しかけられて、けっこうおしゃべりした。フレンドリーなだけでなく、わたしの拙い英語につきあってくれる辛抱強さも合わせもっている(笑)。日本で美術館巡りをするのだと言っていた。初めての日本滞在を楽しめますように。
 機内食が出たとき、隣の席の女性がビールを頼んだら、出てきたビールの缶がとてもかわいかった。わたしも缶目当てで頼めばよかったとちょっと後悔。

 いろいろトラブルやアクシデントはあったうえに、途中、体調が万全とはいえなくなってしまったが、ひどいことは起こらず、出会った人たちはおおむね親切で、とても有意義な旅だった。
 快く送りだしてくれた家族にも感謝したい。やり残したことも行きたい場所もまだまだあるし、チェココルナもまだ残っているから、チェコ、また来よう。


【余談】
 日本のパスポートを持った人間がシェンゲン協定加盟国に行く場合、パスポートコントロールを受けるのは、最初に入った国と最後に出る国だけ。今回、日本からの飛行機がワルシャワに着き、ワルシャワで日本行きの飛行機に乗ったので、わたしのパスポートにはポーランド出入国のスタンプしか押されていない。つまり、パスポートを見る限り、わたしはチェコにもドイツにも行っていないことになる……ちょっと残念。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(5)

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 ハノーファーは都会だった。ベルリンのような大都会ではないが、駅前に店が多くてにぎわっていて、お土産が調達できそうなのでほっとする。
 予約していた駅前のホテルにチェックイン。ちなみに今回の旅で一番宿泊料の高いホテル。部屋とベッドは一番狭いが、冷蔵庫があり、設備は整っている。何より駅に近いのがいい。ドイツで普通の観光をする気はまったくなく、移動しやすいことに重点を置いていたので、できる限り駅から近いホテルに泊まりたかったのだ。

 荷物を置いてひと休みすると、お土産を探しに出かけた。駅前にはデパートみたいな大型スーパーみたいな店舗がいくつかあり、大型書店もある。第2外国語でドイツ語を取っている次女にドイツ語の絵本でも……と思ったが、ドイツ人作家の作品も翻訳作品も区別なく並べられていて、絵が好きだなと思うとたいてい翻訳もの。ドイツ人作家の絵本を見つけるのは難しそうなので、あきらめた。

 ハノーファーをうろうろしているとき、Twitterのアカウントを乗っ取られている疑いがあるという通知がきた。実はチェコにいるときにも(普段と違う場所からアクセスされているからという理由で)アカウントを乗っ取られたのでは?という疑惑をかけられたのだが、本人であるならパスワードを変更せよという指示に従ってパスワードを変更し、事なきを得ていた。今回はダメで、アカウントをロックされてしまった。成田を発つときからずっとメモがわりにTwitterでつぶやいてきたのに……。最後の最後で残念なことが起こってしまったけれど、しかたない。

 お土産を買ったあと、最後にデパートみたいな大型スーパーみたいな店の地下で、Pink Ladyという種類のりんごと飲むヨーグルトと思しきものを買って、ホテルの部屋で食べた。りんごはおいしかった。プラハの宿で毎朝ネクタリンを1個食べてはいたけれど、スーパーや市場でもっと果物買って食べておくべきだった。今さらだけど。そして、飲むヨーグルトだと思って買ったものは、飲むヨーグルトではなく、普通のヨーグルトだった。スプーンなんてないので、無理やり飲む……。


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 明日はもう帰国の日。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(4)

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 入り口近くにある記念館に入り、先に腹ごしらえをしようとカフェに入る。ガラスケースに入っているサンドウィッチを食べようと思ったが、メニューにホットドッグを見つけ、ホットドッグにした。ほかにガス入りの水を買う。ホットドッグはIKEAの1階で売っている100円のホットドッグに似ている。ピクルスやフライドオニオン、ケチャップ、マスタードは自分でつける。胃腸が本調子でないせいもあったのか、あまり美味しくなかった。サンドウィッチにすればよかったのかなあ。

 展示をひとつひとつ見てまわり、記念館内の書店ものぞいた。各国語の本が並んでいたが、やはりアンネ・フランクの関連本が圧倒的に多い。
 収容所跡地はもちろん、記念館も入場無料だった。

 そろそろ帰りのバスの時間が近づいたので、停留所へ移動。イギリス人らしき老夫婦がベンチ座ってバスを待っていた。時間になったがバスが来る気配がない。時刻表にFやSといったマークがついていて、それぞれの意味が欄外に書いてあるが、ドイツ語のみなので判読できない。nur für はnot forの意味だろうか?と推測していると、イギリス人の男性の方に声をかけられた。nur für は only for なのではないかと聞いてきたので、Google翻訳さんに手伝ってもらったら、たしかにそうだった! Fは祭日、Sは平日。つまり、待っていたのに来なかったバスは祭日のみのバスだった。幸い10分も待てば平日のみのバスが来ることがわかったので、慌てず騒がず、のんびり待つ。

 終点で降り、900番のバスに乗り換えてツェレに戻った。帰りは行きより短く感じた。単に気持ちの問題ではなく、切符を見ると行きよりも運賃が安かったので、明らかに所要時間が短かかったのだ。
 ホテルに寄って、荷物を引き取った。事務室にいたのは中国人の男性だけ。スーツケースを道路まで運んでくれた。不思議なつくりだったが(19号室だと言われたのに、部屋番号が17番までしか見当たらず、階段の近くにあったドアを開けたら、そのなかに19号室と20号室のドアがあった。ちなみにドイツでは18は忌み嫌われる数字だそうで、18号室はない)、清潔だったし、オーナー(?)のお二人も感じよかったし、悪くなかった。もう一度ツェレに来るかどうかはわからないけれど。


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 自動券売機でハノーファー行きの切符を買っていたら、英語表記を選んでいたのに、途中からドイツ語に変わってしまった。なぜだ? 想像力を働かせて、なんとか購入。ホームに来ていたS-Bahnに乗り、ハノーファーへ。


チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(3)

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 ベルゲン・ベルゼン強制収容所は、もともとは国外で拘束されたドイツ人と交換するための「交換ユダヤ人」を集める場所を想定していたらしいが、1944年以降は病人や高齢者が移送されることが増えた。食料の少なさから衰弱死するものが多く、衛生状態の悪さから結核、赤痢などの伝染病も流行した。1945年2月ごろから収容所が解放されるまでのあいだはチフスが大流行し、イギリス軍による解放後、伝染病の拡散をふせぐため、収容所の建物はすべて焼き払われたそうだ。

 1938年9月、ミュンヘン協定によりチェコはナチス・ドイツに領土割譲(カレルはこの年の12月に逝去)、翌年3月に占領されてボヘミア・モラヴィア保護領となる。ナチスとヒトラーに対する批判を続けていたヨゼフは1939年9月1日、政治犯として逮捕された。ダッハウ(9月9日〜)→ブーヘンヴァルト(9月26日〜)→ザクセンハウゼン(1942年6月26日〜)の各強制収容所を経て、1945年2月25日にベルゲン・ベルゼンに移送される。4月4日に最後の生存確認が伝えられているが、その後、連合軍による解放直前にチフスで亡くなったと推測されている。チェコ版(およびそれを参照したと思われる英語版)のWikipediaに、1945年6月にヨゼフの妻ヤルミラがベルゲン・ベルゼンを訪れたが、亡骸を見つけることはできなかったと記されている。


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 収容所があった広い敷地内をゆっくりと歩いた。記念碑や焼却炉跡。遺族が立てた墓碑もある(ここで亡くなった人たちひとりひとりの遺体が確認できているわけではないので、墓碑の下に埋葬されているわけではない)。


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 収容所で一番の大通りだった場所で、『ヨゼフ・チャペックエッセイ集』を開き、「強制収容所からの詩」を改めて読む。それぞれの詩が具体的にいつ書かれたのかはわかっていない。「五年間」と「一九四四年霜月」が書かれたのはザクセン・ハウゼン滞在中なので、ほかの詩もたぶん同じころに書かれたのではないかと思う。
アンネ・フランクに会いに行く』(谷口長世著/岩波書店)によると、1944年から1945年にかけての冬、ドイツは激しい寒波に襲われ、氷点下の気温の日が続いたという。そんななか、暖房どころか防寒設備もなく、食べものも満足にもらえない状況で、チフスが流行してしまったら、感染しないのが奇跡だったかもしれない。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(2)

 ベルゲン・ベルゼン強制収容所の資料館のWebサイトに、ツェレから公共交通機関を使って行く人のためにバスの時刻表のリンクが貼ってあった。駅前のバス乗り場から900番のバスに乗り、終点で110番のバスに乗り換える。ぼーっと待っていると、反対側にあるバス乗り場にベルゲン行きと表示された100番バスが来た。えっ? ひょっとして、わたし、今まで反対側方向の乗り場で待っていたの?
 あとになって冷静に考えてみれば、900番のバスが行ったばかりだったのか、これから来るところなのかをまず確認するべきだったかもしれないが、そんな気持ちの余裕はなかった。運転手さんにこのバスでベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地に行けるかと聞いたら、終点で乗り換えれば行けると言われたので、飛び乗ってしまった。
 乗ったあとで、本当に大丈夫なのか不安になってきた。ツェレのバスの路線図(Webサイトからダウンロードしてプリントアウトしていた)を確認した。900番のバスの終点と100番のバスの終点を結ぶのが110番のバスで、あいだにベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地がある。このバスで大丈夫らしい。

 終点でバスを降り、運転手さんと一緒に時刻表を確認する。次の110番のバスまで1時間くらいあることがわかった。でも、天気もいいし、このあたりを散策すれば時間はつぶせるだろう。親切な運転手さんに改めてお礼を言った。チェコでもドイツでも、いつもこんなふうに親切な人に助けられた。慣れない土地で親切にされると本当にうれしい。
 思えば、テレジーンに行ったときもバスを降りそこなったっけ。テレジーンもベルゲン・ベルゼンも、すんなりたどり着いてはいけない場所なのかもしれない。そんなふうに考えて自分を納得させる。


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 バスの停留所があるのだから、このあたりでは一番にぎやかな場所なのだろうか。レストランがあり(午前中なので閉まっていた)、カフェがあり(開いていたけれど、お客さんがいなくて入りづらい)、教会があった。教会の前の広場には巨大なチェスの駒が。お祭りか何かのときに使われるのだろうか。バスの窓から眺めていたときにも感じていたけれど、家がでかい。これまでイギリスやオランダに行ったことがあるけれど、都市部が中心で、一戸建ての家はほとんど見たことがなかった。田舎町で一戸建ての家が並んでいるのを見ると、一軒一軒が日本の家に比べてひとまわりもふたまわりも大きく、窓もドアも大きいので、巨人の家を眺めているような気がしてくる。


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 ようやくやって来たバスに乗り、今回の旅の最終目的地、ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地へ。夏の終わりに咲くというヒースの花が、盛りは過ぎていたものの、まだ咲いていた。気候の厳しい土地に育つ植物なので、この土地の気候の厳しさがわかる。ここは『アンネの日記』のユダヤ人少女アンネ・フランクが亡くなった場所として知られているが、わたしがここに来ようと思ったのは、ヨゼフ・チャペックが最期の日々を過ごした場所だから……。

チャペック兄弟をめぐる旅 9月11日(1)

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 朝起きて、着替えると、ベルゲン・ベルゼン強制収容所方面に行くバス乗り場を確認しに駅前に行く。時刻表で時間も確認。バスは1時間に1本間隔。

 駅前にあるベーカリカフェに入ってみる。考えてみると、何かを食べるのは昨日の朝ごはん以来だ。パンをいくつも食べたくなる衝動に駆られたが、ひとつひとつが大きいし、まだ胃腸が本調子ではないので、ひとつだけ。パイ風のものにした。中身が何なのかわからないが(笑)、肉でないことを祈った。コーヒーも……と思ってメニューを見ると、イタリアのバールで見るような名前が並んでいる。そういえば、チェコのカフェもメニューはイタリア風だった。コーヒーの世界ではイタリアがヨーロッパを席巻しているのだろうか。
 お店の人に「グーテン・モルゲン」と声をかけると、「モルゲン!」と返ってきた(このあとお店の人とお客さんたちとのやりとりを見たのだが、朝の挨拶は「モルゲン!」らしい)。これを……とパンを指し、ミルクコーヒーを頼んだ。適当な席に座る。


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 パンというか、パイの中身はチョコレートクリーム。ヌテラのような味だったので、ナッツ入りのクリームだろうか。コーヒーのマグカップは日本のものよりひとまわり、ふたまわりくらい大きい。
 わたしが席に着いたとき、ほかにお客さんはいなかったのだが、その後、次々とお客さんがやってきた。パンとコーヒーだけでなく、簡単な料理も出しているらしく、常連客と思われる老夫婦の席にプレートに載った料理を店の人が席まで届けるのが見えた。

 ホテルに戻り、荷物をまとめるとチェックアウト。チェックインしたとき事務所にいたのは中国人の女性だけだったけれど、今朝は男性もいた。二人はホテルのオーナーなのだろうか。中国から遠く離れて、ドイツのこんな小さな町でホテルを経営しているなんてすごいとしかいえない。午後戻ってくるまでスーツケースを預かってほしいと頼むと、快く引き受けてくれた。何時になるかと聞かれたので、3時か4時だと答えると、その時間ならいるので大丈夫だと言う(予約サイトに「入口が閉まっていて、電話をかけないと入れなかった」と苦情を書いていた人は、運悪くチェックアウトの時間からチェックインの時間のあいだの時間の、誰もいない時間帯に到着してしまったのかもしれない)。

 ベルゲン・ベルゼン強制収容所への行き方については、やはり実際に現地に行かれた方が書かれたブログが役に立った。収容所へ向かうバスがあるのは夏だけで、夏になると資料館のWebサイトにバスの時刻表のリンクが貼られるといった情報は本当にありがたかった。ベルゲン・ベルゼン強制収容所については『地球の歩き方 ドイツ』(ダイヤモンド・ビッグ社)のツェレのページにも少し載っているが、『地球の歩き方 ベルリンと北ドイツ』のツェレのページにはなぜか載っていなかった。

より以前の記事一覧